小田野城跡(読み)おだのじようあと

日本歴史地名大系 「小田野城跡」の解説

小田野城跡
おだのじようあと

[現在地名]牧丘町西保下

小田野山はじよう山ともよばれ、標高八八三メートル、急峻な山容を呈しており、麓の城下じようか集落からの比高は約二八〇メートル。「甲斐国志」などでは平安時代末から鎌倉時代初期の安田義定の要害と伝えるが、跡部景家の詰城の可能性が高い。「王代記」に「跡部上野守西保かひのにしふ小田野ノ城ニテ腹切」とあり、寛正六年(一四六五)の武田信昌との夕狩沢ゆうかりざわ(現山梨市)での戦いで敗走した景家が当地で自刃している。遺構は山頂の主郭を中心に、北・東・南の三方の尾根上にある。各郭の平坦地の周囲には幅の狭い小規模な帯郭が多用され、尾根上には堀切がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む