小矢田城跡(読み)おやたじようあと

日本歴史地名大系 「小矢田城跡」の解説

小矢田城跡
おやたじようあと

[現在地名]勝央町小矢田

小矢田集落の西にある中世の山城遺構は不明。南北朝時代、赤松氏の一族戸倉政祐が勝田かつまだ庄の地頭になり、延元四年(一三三九)入城戸倉とくら城と称したという(美作古城史)。康安元年(一三六一)山名氏の美作攻撃を当城で食止めたが、これは城内神社地の大杉加護であるとして、同社を杉大明神と改称、鎮守神にした(「杉神社由緒沿革」美作国神社資料)。戸倉氏は、嘉吉元年(一四四一)反乱を起こした赤松氏を討ちにきた山名氏に降伏おか村に幽閉された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む