小磯村(読み)こいそむら

日本歴史地名大系 「小磯村」の解説

小磯村
こいそむら

[現在地名]大内町小磯

北は播磨灘に面し、西の北山きたやま岬の先端から東の番屋ばんや河口にかけて小さな砂浜と磯が連なる。きた(二二六・三メートル)東側の丘陵と、番屋川下流の沖積地に位置する。好漁場に恵まれた漁村。東は西にし村。慶長一四年(一六〇九)生駒一正により小磯一七八石八斗余を含む大内郡九ヵ村が水口隼人に預けられている(同年一一月一四日「生駒一正預ケ状」生駒家宝簡集)。寛永国絵図では入野にゆうのや郷のうち。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳には記載がなく、高は西村八七九石余に含まれていると思われるが不明。同一九年の高松領小物成帳では「大谷小磯」と一括され、小物成は綿三八四匁・茶代銀六分四厘・漆代銀三分・茶代(御菜か)米四斗八升。溜池は池泉合符録によると新池(水掛高六四石余)など一六池あるが、新池以外はすべて水掛高一〇石以下の小池。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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