小笠原東陽(読み)おがさわら とうよう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小笠原東陽」の解説

小笠原東陽 おがさわら-とうよう

1830-1887 幕末-明治時代の儒者
天保(てんぽう)元年生まれ。昌平黌(しょうへいこう)で佐藤一斎,安積艮斎(あさか-ごんさい)にまなぶ。のち林鶯渓(おうけい)に師事し,その万潢塾の塾長となる。文久元年安房(あわ)(千葉県)勝山藩の江戸藩邸学問所の副督学。維新後,神奈川師範訓導などをへて,同県羽鳥(はとり)村に家塾読書院をひらいた。明治20年8月12日死去。58歳。名は黄。通称は鉄四郎。別号に半漁

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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