20世紀日本人名事典 「小西作太郎」の解説 小西 作太郎コニシ サクタロウ 大正・昭和期の新聞技術者 日本高野連顧問;元・朝日新聞常務。 高校野球生みの親;扁平活字生みの親。 生年明治25(1892)年5月25日 没年昭和60(1985)年2月5日 出生地京都府京都市 学歴〔年〕京都帝国大学工学部機械工学科〔大正7年〕卒 経歴朝日新聞印刷部長、印刷局長などを歴任。三高(現京大)時代に、全国高校野球選手権大会の前身である全国中等学校優勝野球大会開催のきっかけを作り、大正4年の第1回大会(豊中)から審判委員を務めた。その後鳴尾、甲子園時代も大会運営に尽くし、高校野球の生みの親の一人といわれる。又朝日新聞の印刷局長のとき、従来の常識を破る「扁平活字」を考案、昭和16年から紙面に採用し、翌年から各紙も次々採用した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小西作太郎」の解説 小西作太郎 こにし-さくたろう 1892-1985 大正-昭和時代の新聞人。明治25年5月25日生まれ。大正10年大阪朝日新聞社にはいり,印刷局長,常務などを歴任。昭和16年扁平(へんぺい)活字を考案した。また三高在学中に中等学校野球の全国大会開催を進言,現在の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)のきっかけをつくり,大正4年の第1回大会から審判委員をつとめた。昭和60年2月5日死去。92歳。京都出身。京都帝大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by