秋田氏(読み)あきたうじ

改訂新版 世界大百科事典 「秋田氏」の意味・わかりやすい解説

秋田氏 (あきたうじ)

出羽国の戦国大名近世の陸奥三春藩主。陸奥国の俘囚長安倍氏の子孫として,鎌倉~戦国期に蝦夷代官蝦夷管領),日之本将軍となり,蝦夷地の管轄をも担当してきた安東氏が,出羽国秋田湊地名または秋田城介の官職名に拠って,秋田氏を名のったという。系図・縁起類を典拠とした系譜なので,不明な点が多いが,かなりの事実を伝えている。戦国末期に下国愛季(ちかすえ)/(よしすえ)が出て,秋田湊,野代檜山のおのおのを拠点とする安東勢力を統一し,南は豊島郡から北は比内郡に及ぶ領国の支配を固めた。その子秋田実季(さねすえ)のとき,太閤仕置をうけ,5万2000石余を安堵され,太閤蔵入地として没収された旧領2万6000石余の管理も許可された。代々相伝してきた蝦夷地管轄の権限は蠣崎(かきざき)氏に替えられたが,この後,近世大名への脱皮に成功。徳川氏の移封策をうけ,1602年(慶長7)常陸宍戸藩5万石,45年(正保2)陸奥三春藩5万5000石と転封。維新後,子爵
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百科事典マイペディア 「秋田氏」の意味・わかりやすい解説

秋田氏【あきたうじ】

出羽国の戦国大名江戸時代は陸奥国三春(みはる)藩主。陸奥国俘囚長(ふしゅうのちょう)安倍貞任(さだとう)の子孫で,初め安東(あんどう)氏(安藤氏)として,陸奥国北部のほか蝦夷(えぞ)地をも管轄していた。戦国末期に下国愛季(しものくにちかすえ)が出て,分裂していた安東氏を統一。戦国大名として領国の支配を固め,出羽秋田湊(現秋田市)の地名または秋田城介(じょうのすけ)の官職名にちなんで秋田氏を称したという。豊臣秀吉による奥羽仕置(しおき)を経て,1591年愛季の子実季(さねすえ)が秀吉から5万2000石余を与えられた。1602年に常陸国宍戸(ししど)藩5万石,1645年には三春藩5万5000石へ転封(てんぽう)となり,代々三春藩主を世襲して明治維新に至る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「秋田氏」の意味・わかりやすい解説

秋田氏
あきたうじ

出羽国(でわのくに)の戦国大名。近世陸奥(むつ)三春(みはる)藩主。蝦夷(えぞ)系譜を主張する安東(あんどう)(下国(しものくに)、湊(みなと))氏が祖といわれる。日之本将軍(ひのもとしょうぐん)を称し、蝦夷島を管轄した特殊な領主。安東氏は室町期に秋田城介(じょうのすけ)を称し、戦国末期には、湊の堯季(たかすえ)に嗣子(しし)なく、下国愛季(ちかすえ)がこれを継ぎ、秋田湊と野代檜山(のしろひのやま)の両勢力が統一、その子実季(さねすえ)のときに秋田氏を名のる。またこの期に近世大名へと脱皮。徳川方につき、1602年(慶長7)常陸(ひたち)宍戸(ししど)藩に移封、1645年(正保2)三春藩5万5000石に転封、幕末に至る。

[遠藤 巌]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「秋田氏」の意味・わかりやすい解説

秋田氏
あきたうじ

江戸時代の外様大名。安倍貞任を祖とし,初め安東氏を称したが,室町時代,秋田城主となって秋田城介を称し,近世初頭,実季のとき,秋田氏と改称した。慶長5 (1600) 年に常陸に移り,正保2 (45) 年陸奥三春に転封。明治にいたって子爵。

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