小野成綱(読み)おの なりつな

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小野成綱」の解説

小野成綱 おの-なりつな

?-? 平安後期-鎌倉時代の武将
治承(じしょう)・寿永の乱に活躍,源頼朝より阿波(あわ)(徳島県)麻殖保(おえほ)の地頭に任じられるが,文治(ぶんじ)4年(1188)保司平康頼年貢抑留をうったえられている。尾張(おわり)(愛知県)の守護もつとめた。「吾妻鏡(あづまかがみ)」の記事で建暦(けんりやく)元年6月21日以前に死去していることがわかる。通称は野三刑部丞(ぎょうぶのじょう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「小野成綱」の解説

小野成綱

生年生没年不詳
平安後期から鎌倉前期の武士武蔵七党うち横山党に属す。父は成任。野三刑部丞と呼ばれた。鎌倉幕府草創期に活躍し,阿波国麻殖保(徳島県麻植郡)などの所領を与えられ,尾張国の守護に補された。『吾妻鏡』の記事によって建暦1(1211)年6月21日以前に没したことが知られる。<参考文献>八代国治・渡辺世裕『武蔵武士』

(野口実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小野成綱の言及

【尾張国】より

…これに対し平氏勢につくものは在庁官人以下その数も多く,墨俣(すのまた)川の戦では源氏勢を圧倒したが,平氏の没落後は反平氏勢が勢いを挽回した。84年(元暦1)頼朝は在庁大屋安資に国内を鎮める任務を与えたが,守護・地頭の設置が認められると,武蔵武士小野成綱を尾張守護とした。尾張は頼朝挙兵当時は,その支配領域―東国の西限に組み入れられたが,86年(文治2)地頭設置をめぐる朝廷との交渉の結果,平家没官領以外の所領での地頭停止を約した37ヵ国の中に含まれ,東国からはずされた。…

※「小野成綱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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