生没年未詳。平安後期の武士。信濃権守(しなののごんのかみ)中原頼季の子。1174年(承安4)北面(ほくめん)の武士から検非違使尉(けびいしのじょう)となる。このため平判官(へいほうがん)康頼ともいわれる。今様(いまよう)の名手で後白河(ごしらかわ)院の寵臣(ちょうしん)。77年(治承1)鹿(しし)ヶ谷(たに)事件に連座して俊寛僧都(しゅんかんそうず)、藤原成経(なりつね)とともに鬼界(きかい)ヶ島へ流された。途中、周防(すおう)国(山口県)で出家して性照と号す。鬼界ヶ島における熊野権現(ごんげん)の勧請(かんじょう)、千本の卒都婆(そとば)流しなどの話は有名。78年大赦され、翌年に帰洛(きらく)。のち東山雙林(そうりん)寺に籠居(ろうきょ)して説話集『宝物集(ほうぶつしゅう)』を著す。86年(文治2)、かつて尾張(おわり)国にあったとき、野間荘(しょう)にある源義朝(よしとも)の墓に水田30町を寄進し、小堂を建てた功により、阿波(あわ)国(徳島県)麻殖保(おえのほ)保司になっている。
[樋口州男]
平安末期・鎌倉初期の武士,歌人。生没年不詳。阿波国に生まれる。今様や和歌の芸にすぐれ,後白河院の近臣として検非違使に任ぜられた。鹿ヶ谷事件に加わり,1177年(治承1)6月,藤原成経・僧俊寛とともに鬼界ヶ島に流された。途中出家して性照を称した。のち赦免されて都に帰り,86年(文治2)源頼朝から阿波国麻殖保保司職を与えられた。仏教説話集《宝物集》の編者とみられる。
執筆者:小田 雄三
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(櫻井陽子)
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…1177年(治承1)同じく院の近臣藤原成親,西光(さいこう)らとともに京都鹿ヶ谷(ししがたに)の山荘で平氏討滅を謀議したが,多田行綱の密告で露顕し,計画は失敗に終わった(鹿ヶ谷事件)。同年6月3日藤原成経,平康頼とともに薩摩国鬼界ヶ島に配流された。翌年中宮平徳子の安産を祈る大赦に俊寛だけはゆるされず,同島で没した。…
…鎌倉時代の法語。平康頼(やすより)編。12世紀末の成立。…
…文人の愛好した地で,双林寺境内に西行庵があり,ここで没した頓阿の像とともに西行像が安置される。平康頼の山荘も双林寺付近にあり,そこで《宝物集》を著したという。近世,池大雅も住した。…
※「平康頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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