小野新田
おのしんでん
[現在地名]中央区八幡通一―四丁目・磯辺通一―四丁目・浜辺通一―六丁目・磯上通一―八丁目・小野柄通一―八丁目・御幸通一―八丁目
生田村の南、生田川下流東岸の沖積地に立地する。「兵庫名所記」に、小野坂として川すそに坂のあったことを載せ、「問はねども誰ためとてか津の国の生田の小野にわか菜つむらん」の古歌をあげている。海浜に近い砂礫質の野原であった。生田村地内が開発され成立。寛文九年(一六六九)頃の尼崎藩青山氏領地調(加藤家文書)には小野新田村とみえ高二四石余、田七反余・畑三町一反余。元禄郷帳では高二五石余、同藩主の弟青山幸澄知行地。宝永八年(一七一一)尼崎藩主改替により同藩(松平氏)領。
小野新田
おのしんでん
[現在地名]和泉市小野町・鶴山台一―四丁目
上代村の西方、信太山丘陵上に開かれた新田村。もと信太山一帯は聖神社の境域内であったが、明治四年(一八七一)境内地三千九〇〇余坪を除いて上知、上知された土地を京都の人小野善之助が開拓、同六年開拓者の姓をとって小野新田と名付けられた(大阪府全志)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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