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小野毛人 おのの えみし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小野毛人 おのの-えみし

?-677 飛鳥(あすか)時代の官吏。
小野妹子(いもこ)の子。小野毛野(けぬ)の父。慶長18年(1613)に発見された毛人の墓誌には,天武(てんむ)朝の太政官兼刑部(ぎょうぶ)大卿で,位は大錦上とある。「続日本紀」の毛野伝には「小錦中毛人」としるされている。天武天皇6年12月死去。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小野毛人

没年:天武6(677)
生年:生年不詳
天武天皇に仕えた官人。小野妹子の子。毛野の父。墓誌が慶長18(1613)年現在の京都市左京区上高野付近で発見されている。同地は『和名抄』にみえる山城国愛宕郡小野郷に当たり,小野氏の根拠地であった。その後元禄10(1697)年に再び埋納されたが,盗難にあうなどし,大正2(1913)年取り出されて今日に至っている。妹子の子だが正史にはあまり記載がなく,この墓誌によって天武天皇の朝廷に仕え,太政官兼刑部卿に任命されたことが知られる。この「太政官」とは行政の最高機関太政官を構成する官職と考えられるが,小野氏系図には大徳冠中納言とあったことからみて,大納言か中納言の職にあったものらしい。

(鬼頭清明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の小野毛人の言及

【小野】より

…(1)《和名抄》に記す山城国愛宕(おたぎ)郡の小野郷は現在の京都市左京区上高野,修学院,一乗寺とその付近の地域である。上高野崇道神社境内の古墓から小野毛人(えみし)(遣唐使の妹子の子)の墓誌が出現したことなどから,この付近が古代の小野氏の本拠であったと考えられる。修学院にある赤山(せきざん)禅院は,慈覚大師円仁が泰山府君を勧請した社で,延暦寺別院である。…

【小野氏】より

…さらに武将としては878年(元慶2)の出羽俘囚の乱で鎮守府将軍となって力量を発揮した春風や,941年(天慶4)の藤原純友の乱で純友追討の任をはたした好古(よしふる)が出ている。なお妹子の子で毛野の父にあたり,天武朝に〈太政官兼刑部大卿〉であった小野毛人(えみし)の墓が,1613年(慶長18)に山城国愛宕郡小野郷の崇道神社裏山(京都市左京区)から,長さ58.9cm,幅5.9cmの短冊形の鍍金鋳銅製の墓誌を伴って発見された。【岸 俊男】。…

※「小野毛人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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