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南岳懐譲 なんがくえじょう Nan-yue Huai-rang

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南岳懐譲
なんがくえじょう
Nan-yue Huai-rang

[生]儀鳳2(677)
[没]天宝3(744).8.11.
中国,唐の禅僧。出家して六祖慧能門に入る。開元2 (714) 年南岳の般若寺観音堂に入って住すること三十余年,独自の禅風を興した。後世この法系を南岳下と称した。諡号は大慧禅師。

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デジタル大辞泉の解説

なんがく‐えじょう〔‐ヱジヤウ〕【南岳懐譲】

[677~744] 中国、唐代の禅僧。慧能に師事。湖南省南岳の般若寺に住み、独自の禅風を広めた。その法系から臨済・潙仰(いぎょう)などの宗派が生まれた。諡号(しごう)、大慧禅師。

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世界大百科事典 第2版の解説

なんがくえじょう【南岳懐譲 Nán yuè Huái ràng】

677‐744
中国,唐代中期の禅僧。大恵禅師観音和尚ともいう。陝西金州の人。姓は杜。荆州玉泉寺で弘景より律をうけ,同学坦然とともに嵩山(すうざん)で恵安に参ずるが,さらに曹渓慧能を訪うて,〈什麼物か恁麼に来る〉と問われ,〈説似一物即不中〉と答えて,印可された。後年,南岳に化を振るい,弟子に馬祖道一を出す。滅後ただちに建てられたという常侍帰登の碑は早く失われたが,別にのちに張正甫が選する〈衡州般若寺観音大師碑銘幷序〉が,《唐文粋》その他に収められている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南岳懐譲
なんがくえじょう
(677―744)

中国、唐代初期の禅僧。諡号(しごう)は大慧禅師(だいえぜんじ)。金州(きんしゅう)(山東省)の出身で、生まれたときに奇瑞(きずい)があったという。15歳で荊州(けいしゅう)(湖北省)玉泉寺(ぎょくせんじ)の弘景(こうけい)律師のもとで出家し、律蔵を学んだ。嵩山(すうざん)の慧安(えあん)に参じて大悟し、そののち曹渓(そうけい)へ行き、禅宗第六祖の慧能(えのう)に師事して法を嗣(つ)いだ。713年(先天2)南岳の般若寺(はんにゃじ)に居住した。開元年中(713~741)に馬祖道一(ばそどういつ)が彼の法を嗣ぎ、その法系がのちに江西を中心に盛んとなり、のち臨済(りんざい)宗、(いぎょう)宗などの宗派に発達した。また彼の法系は、青原行思(せいげんぎょうし)の法系(第六祖慧能―石頭希遷(せきとうきせん)―青原行思)とともに中国禅の主流をなす南宗(なんしゅう)禅の重要な立場にある。744年(天宝3)8月11日に没した。著述に『南岳大慧禅師語録』一巻がある。[椎名宏雄]

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