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奈良(南都)にある七つの大寺。677年(天武6)の大官大寺に始まる大寺制は,四大寺,五大寺と発展し,756年(天平勝宝8)5月に七大寺の名が初見する。8世紀後半に西大寺が創建されるに及んで,東大寺,大安寺,興福寺,元興(がんごう)寺,薬師寺,法隆寺,西大寺を七大寺と称するにいたった。大寺の造営にはそれぞれ官営の造寺司を設けてことに当たり,経営維持のため莫大な封戸・荘地が施入され,別当や三綱が寺・寺僧の運営指導に当たった。七大寺は興福寺の法相・律宗の二宗兼学を除いて,他は六宗もしくは数宗兼学の寺で(南都六宗),七堂伽藍が整備されていた点に特色がある。平安遷都以後も七大寺,平城七大寺あるいは南京七大寺ともいわれ,諸寺への巡拝も盛行し(七大寺巡礼),のち平安京七寺の称も生じた。
執筆者:堀池 春峰
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平城京およびその周辺の七つの大寺。東大寺、興福寺、元興(がんごう)寺、大安(だいあん)寺、薬師(やくし)寺、西大(さいだい)寺、法隆寺。法隆寺を除き唐招提(とうしょうだい)寺を入れた例もある。飛鳥(あすか)時代には大安寺、薬師寺、元興寺、弘福(ぐふく)寺を四大寺と称したが、奈良遷都後は大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺を四大寺とよび、ほかに五大寺、六大寺の称も行われた。七大寺は、聖武(しょうむ)天皇の崩じた翌々日および初七日すなわち756年(天平勝宝8)5月に七大寺に誦経(ずきょう)せしめた『続日本紀(しょくにほんぎ)』というのが初めての記載で、その後796年(延暦15)11月『日本後紀(にほんこうき)』などにみえる。『続(しょく)日本後紀』『文徳実録(もんとくじつろく)』『三代実録』や『延喜式(えんぎしき)』などにも言及されており、『扶桑略記(ふそうりゃっき)』に七大寺の寺名が記されている。また、『七大寺巡礼私記』『七大寺日記』『七大寺年表』(以上平安末期)、『七大寺巡礼記』(室町時代?)などがある。
[田村晃祐]
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…いわゆる南都七大寺(東大寺,興福寺,元興寺(がんごうじ),西大寺,薬師寺,大安寺,法隆寺)を巡拝すること。879年(元慶3)10月清和上皇の大和国の名山巡礼以降,貴族による南都諸寺への巡拝が盛行した。…
※「南都七大寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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