墓誌銘ともいう。本来,中国の文章のジャンルの一つで,墓中に埋め,時代が移り変わっても,墓の主がだれかをあきらかにするための文をいう。通例,墓主の伝記を書いた散文の〈序〉と,墓主を記念賛頌する韻文の〈銘〉とから成るが,どちらか一方を欠くばあいもまれにあり,〈銘〉がなくても〈墓誌銘〉と呼ぶのがふつうである。刻される材料は,土中でも保存されるように,石を使用するのが一般的であるが,塼(せん)や金属,特に銅板が使用されることもある。中国では,南北朝時代,南朝では石の墓誌を禁じたが,北朝では,正方形の石に刻し,さらに上を石蓋でおおうようになって,それが以後通例となった。本来,墓主が判明すればよいのであるから,姓名,死亡および埋葬年月日,年齢などの記載さえ具わればよいのであるが,しだいに墓主の伝記を詳細に記すようになった。しかし,一般に抽象的な美辞麗句を連ねた形式的な文章が多かったが,唐の韓愈が各個人それぞれの個性を描写した伝記を書いてから以後,古文家の力をそそぐ重要なジャンルとなった(古文運動)。墓主を記念する文章であるから,墓主を賞賛することが多く,欠点をおおいかくす傾向があり,〈諛墓(ゆぼ)の文〉と批評されることもある。したがって伝記資料としては,基礎的な同時資料であるが,常に墓主に対して肯定的である点に注意して取り扱う必要がある。
墓誌銘の体例を説いたものに,元の潘昂霄(はんこうしよう)《金石例》,明の王行《墓銘挙例》,清の黄宗羲《金石要例》があり,あわせて〈金石三例〉と呼ばれる。作品は,執筆者の文集に収められているのを見ることができるほか,最近は,考古学の発達により,発掘される実物も多く,中国の南北朝以前のものは,趙万里《漢魏南北朝墓誌集釈》(1956)にほぼ集められ,また中国各地の博物館でその地出土の実物を容易に見ることができる。日本のものは,木崎愛吉《大日本金石史》(1921)に,新出土のものを除き,まとめられている。
→神道碑
執筆者:清水 茂
墓誌は,日本でも7世紀末ごろから8世紀にかけて,かなり行われた。ただそれ以降は実物,記録ともにまれで,日本では8世紀代までに限られた風習であったといってさしつかえない。その原因は明らかではないが,墓誌と類似の役割を持つ墓碑や墓塔の造立が盛んになることと無関係ではないとみられる。古代の墓誌は16例現存しており,その内訳は別表のとおりである。これらの墓誌は,考古学や歴史学の重要な資料であり,また金工品や書跡として優れた価値を有するものも少なくない。
墓誌の形態は,長方形の板に記されたものと,火葬用の蔵骨器に記されたものの二つに大別される。現存の例では,文字はすべて素材に刻み込まれている。板状の墓誌には,数は少ないが,本体と蓋を組み合わせた高屋枚人(たかやのひらひと)墓誌や紀吉継(きのよしつぐ)墓誌のような例や,主板のほかに小型の副板2枚を添えて一組とした小治田安万侶(おはりだのやすまろ)墓誌などもある。また,1枚の板から成る場合でも,文字を表裏両面に記すものと,片面にしか記さないものがあり,前者には船王後(ふねのおうご)墓誌,小野毛人(おののえみし)墓誌,僧道薬墓誌など古い時期の墓誌が多い。これら板状の墓誌は,中国の典型的な墓誌が正方形の石で作られ,本体と蓋石の2枚から成るのとは異なり,圧倒的に銅,銀などの金属製品が多く,まれに石や塼(せん)のものがみられる。このような相違が生じたのは,墓誌の形式が完成する六朝時代初期以前の墓誌から影響を受けたとも考えられるが定説はない。しかし板状墓誌の形が,時代を下るにつれて幅広になり,文字を片面にだけ記す例や蓋を伴う例が多くなること,また山代真作(やましろのまつくり)墓誌や石川年足(いしかわのとしたり)墓誌のように,板の周囲に唐草文様を施す例が現れてくることなどは,中国の完成された墓誌の影響が及んだ結果とみられる。一方,蔵骨器に刻まれた墓誌の場合は,すべて銅製であり,その安置・埋納法には,仏教における舎利容器のそれと類似する点が少なくない。そのため,中国の典型的な墓誌よりも,舎利容器との関連の深いことが指摘されている。
次に古代の墓誌の対象となった被葬者は,官人とその家族,僧侶に限られている。官人の場合,上は正三位御史大夫(大納言)の石川年足から,下は郡司クラスの地方豪族まで,かなりの多様性がある。またほぼ同地位,同時期の官人として,太安万侶(おおのやすまろ)と小治田安万侶の例があるが,片面に文字を記すところや文面に似た点もあるものの,小治田安万侶墓誌のほうが,銅板の厚さや鍍金,副板の存在など,製作が格段に優れている。したがって墓誌の作製について,官位・身分に伴う規制があったとは考えにくい。文の内容の精粗についても同様である。また被葬者の出身氏族も,渡来系,非渡来系の双方にわたっていて,特にかたよりはない。なお葬法との関連でみると,墓誌を持つ墓はほとんど火葬墓である。
墓誌の出土地は,奈良を中心とする近畿一円が多数を占める。しかし岡山県,鳥取県でも出土しており,江戸時代に出土した例では,熊本県での出土も知られている。岡山,鳥取の例は中央出仕の官人とその家族,熊本のものは地方豪族の例であるが,官人社会の中で,地方にも墓誌埋納の風の伝えられたことが知られる。被葬者と墓所の間には,小野毛人,下道圀勝(しもつみちくにかつ)・圀依の母,伊福吉部徳足比売(いほきべのとこたりひめ),道薬などの場合のように,墓所がその人物の本貫地にあるという関係の見いだせる例もあるが,両者の関係が特に見当たらず,単に墳墓の集中する地域に墓が営まれたとみられる威奈大村(いなのおおむら),太安万侶,宇治宿禰(うじのすくね),高屋枚人,紀吉継らの場合がある。
墓誌の文章は,本格的な漢文から和風のものまで,長短さまざまな様相を見せる。威奈大村墓誌は,中国の墓誌の文体が持つ条件を完全に備えた唯一の例で,前半に故人の出自,官歴,没年などを記し,後半に故人を惜しみたたえた韻文の銘を付ける。文中多様な故事典拠を踏まえるが,直接には中国北周の文人庾信(ゆしん)の作った墓誌を,その文集から学び範としたものである。美努岡万(みののおかまろ)墓誌も,本格的な銘は付いていないが,この形式に近く,《古文孝経》《論語》等の語句を用いて述作されている。押韻した銘は,簡単ながら石川年足墓誌にもみられる。行基墓誌も,一般的な中国の墓誌の文体とは異なるが,対句などを多用した正格の漢文で綴られている。他の墓誌は,長短の差はあるものの,おおむね被葬者の地位,死没,埋葬に関する事実を中心にした簡略なものである。これらの中には,小野毛人,小治田安万侶,高屋枚人の墓誌のように,〈某の墓〉という形式を持つものもあり,令の規定によって三位以上の高官や氏上にしか造立の許可されなかった墓碑の代用品と考える説もある。
→墓碑銘
執筆者:東野 治之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
墓前に立てる墓碑に対して、石・塼(せん)・金属に故人の姓名・経歴・没年などを記して墓に納めたものを墓誌とよぶ。中国では後漢(ごかん)代に墓記・封記・葬塼などが登場し、魏(ぎ)・晋(しん)以後は墓碑がたびたび禁じられたため、墓中に納める墓誌が一般化した。北魏中葉には方形の石に文を刻むようになり、北魏末には蓋(ふた)を伴い、蓋石に題字を、誌石に姓名・経歴を記し、末尾に韻を踏む銘を付す形制が完成する。また蓋には精緻(せいち)な文様を施す例も現れ、この形制は隋(ずい)・唐を経て遼(りょう)・宋(そう)・元にも及ぶ。
日本古代の墓誌は7世紀後半から8世紀末にかけての18例の出土が知られている。その起源は中国にあるものの、内容・形制ともに特色があり、また時代による変化も認められる。その要点を記すと、7世紀末から8世紀初頭にかけては長方形板状の墓誌の表裏や、銅製骨蔵器に直接銘を記す例が多いが、やがて板状墓誌が多数を占め、銘文も片面にのみ記し、8世紀後半には蓋を伴う例も登場する。またその縦横の比率もしだいに横幅が広くなり、周囲に唐草(からくさ)文などの装飾を施す例も出てくる。このような新しい傾向はいずれも中国墓誌の影響と理解される。古代の墓誌は火葬の採用とともに官人層を中心に普及して、僧侶(そうりょ)・女性の例もある。文章は長文で中国風の銘を有するものもあるが、大半は姓名・官位・卒年のみを記す簡単な例が多く、『喪葬令(もそうりょう)』に定める墓碑の代用としての性格も指摘されている。平安時代以降は、いったん衰退するが、中世には僧侶の在銘骨蔵器として復活し、近世には武家や富豪階層を中心に三たび盛行する。
[大脇 潔]
字通「墓」の項目を見る。
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…また金文は殷以来鋳銘で陰文がほとんどであるが,まれに陽文もあり,さらに戦国末にはたがねによる線刻も行われるようになった。 石刻には碑,碣(けつ),墓誌,造象,磨崖(まがい)などがあるが,主要なものは碑,碣,墓誌の三つである。碑は本来は廟門に立てて犠牲をつないだり,墓所に立てて棺を縄で墓中につり下ろすときに用いられたものである。…
…また,西晋のころから,墓前に碑を立てる代りに,小型の碑を作って,墓中に収めることが始まった。《管洛墓碑》《張朗碑》などがその例で,これらは後世に盛行する墓誌銘の先駆となった。 東晋時代には,王羲之・王献之父子をはじめ,書の名家が数多く現れ,ここに書道史の黄金時代が出現するにいたった。…
…中国では,死者の姓名経歴を記した碑を立て,唐代以来,墓塔を立てる。墓の内部に墓誌を入れることも,戦国時代(中山王墓)以来行われている。朝鮮では百済の武寧王陵の墓誌が有名である。…
※「墓誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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