大和高市郡にあった古代の官寺。奈良大安寺の前身。寺跡は奈良県高市郡明日香村小山と橿原市南浦にまたがる。金堂と塔の基壇を残す。《大安寺伽藍縁起幷流記資財帳》と《日本書紀》によると,617年(推古25)聖徳太子が熊凝(くまごり)村に建てた道場を起源とし,639年(舒明11)百済(くだら)川のかたわらに移建,百済大寺とするが,その後,673年(天武2)高市郡に移し,高市(たけち)大寺と改号する。さらに677年大官大寺と改め,飛鳥寺,川原寺,薬師寺とともに,藤原京内の四大寺となる。大官は〈おおつかさ〉とも訓じ,仏教興隆と統制の国家機関を意味し,大官大寺とはまさに〈国家の寺院〉を意味する名称であった。文武朝には百済大寺と同じ九重塔と金堂を建てる,とある。《扶桑略記》によると711年(和銅4)焼失する。平城京遷都に伴い,716年(霊亀2)奈良に移転して大安寺となった。
1973年以来の発掘調査によると,現推定地の寺域は東西2丁(約270m),南北3丁(約400m)の広大な範囲で,伽藍中枢部は中軸線上に南から,中門,金堂,講堂が並び,金堂前面の東側に塔を配置していた。回廊,金堂,塔は完成直前に被災していた。ただ,南門とともに西塔想定地に基壇痕跡がなく,当初から西塔を計画していたかはわからない。この遺跡は出土遺物から8世紀初頭に建立されたことがわかり,文武朝に再建された大官大寺である。天武朝の大官大寺の所在はわかっていないが,ここから北西400mにある紀寺跡をこれにあてる説がある。
→大安寺
執筆者:猪熊 兼勝+中井 真孝
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大安寺の前身。「日本書紀」によれば,639年(舒明11)舒明天皇は百済(くだら)川畔(現,奈良県広陵町)に,百済大宮と百済大寺を建立した。この百済大寺は聖徳太子の建立した熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)の後身とも伝える。さらに天武天皇は673年(天武2)に百済大寺をうけついで高市(たけち)大寺(現,奈良県明日香村)を建立したが,この高市大寺が677年に大官大寺と改称。「大官」とは天皇をさし,天皇みずからが建立した国家の中心寺院であることを意味する。のち藤原京の四大寺の一つとなり,やがて大安寺と改称される。改称時期については,藤原京時代とする説や,平城遷都にともない平城京に移転した後とする説がある。寺跡は国史跡。
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…南都七大寺の一つ。639年(舒明11)十市郡の百済(くだら)川のほとりに建てられた百済大寺に始まり,673年(天武2)高市郡に移って高市(たけち)大寺と称し,677年大官大寺と改称。さらに平城遷都の際,716年(霊亀2)左京六条四坊に移転し,大安寺と名を変えた。…
※「大官大寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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