少弐政資・資元墓(読み)しようにまさすけ・すけもとのはか

日本歴史地名大系 「少弐政資・資元墓」の解説

少弐政資・資元墓
しようにまさすけ・すけもとのはか

専称寺境内にある。明応六年(一四九七)少弐政資は大内義興に追われて多久の城を頼ったが、城主多久宗時は大内氏を恐れて政資に自害を勧めたので、専称寺境内で自刃したと伝えられる。享年五〇歳。墓碑銘は「前太宰都督司馬少卿安護院殿明哲本光大禅定門」。

辞世の歌として、

<資料は省略されています>

が伝えられている。政資はもともと和歌の道に造詣が深く、冬の日の連歌に「朝鳥の霜夜に睡る日影かな」を詠んで「朝鳥の少弐」と称揚された人であった。

丹邱邑誌」に「政資自害の節、肴の梅干を噛割、草木非情といへども春ハ花を生す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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