日本歴史地名大系 「尾平鉱山跡」の解説 尾平鉱山跡おびらこうざんあと 大分県:大野郡緒方町尾平山町尾平鉱山跡[現在地名]緒方町尾平鉱山緒方町の最南端、宮崎県境にそびえる祖母(そぼ)山東方の奥岳(おくだけ)川最上流部にあった。尾平鉱山は山間一帯に分布する鉱山の総称であったらしい。「中川氏年譜」には寛永元年(一六二四)九月一三日奥嶽(おくだけ)のうち尾平山から鉛が初めて出たと記されるが、これがどの鉱山のことをさすのかは不明。鋪々根元之事(「慶応三年正月諸願万日記」県立大分図書館蔵)によると中小屋(なかごや)銀山は天文一六年(一五四七)の開発(「両郡古談」には同一八年とある)、蒸籠(こしき)山は元和三年(一六一七)に操業を始め錫の産出があり、薑谷(はじかみだに)では正保四年(一六四七)から錫の産出が始まり、元禄一一年(一六九八)には大繁盛をしたと伝えられる。また蒸籠山慶賃(けいちん)(慶珍)谷では天和二年(一六八二)銅・白目が産出して三年ほどは藩営で採掘されたがまもなく衰え、正徳二年(一七一二)頃一時鉛の産出があったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by