日本歴史地名大系 「尾高町」の解説 尾高町おだかまち 鳥取県:米子市米子城下尾高町[現在地名]米子市尾高町西倉吉(にしくらよし)町の西にあり、通り両側に続く町人町。米子城下町を流れる加茂(かも)川は西倉吉町裏から当町との境を左へ折れて外堀に合流する。西倉吉町との間には橋が架かる。戦国期には西伯耆の中心城郭であった尾高城下から、慶長五年(一六〇〇)以降移住してきた商工業者により形成された。総間数八五間、別に北裏の藍製(あいせい)座に通じる藍座(あいざ)通(新小路)一〇八間、岩倉(いわくら)町境に天神(てんじん)小路二七間があった(明治二年「町々間数等書上」米子市史)。元禄八年(一六九五)の米子町中竈之覚(同書)では家持二三軒・借家四五軒。文化元年(一八〇四)の下札に基づく生高六一石余、物成三七石余(同書)。町禄は当初は茣蓙・畳表を許可され、宝暦八年(一七五八)以降東西の両倉吉町とともに呉服・太物・小間物が許された(「諸願書控」鹿島家文書)。西倉吉町と共通の畳・茣蓙の町禄のうち、畳表小縁取は当町、本間縁取は西倉吉町、小茣蓙類は両町打込みと取決められていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by