知恵蔵 「山中慎介」の解説
山中慎介
中学までは野球をしていたが、チームで戦うのではなく1対1で結果が出る「男らしい」スポーツとして、体格に恵まれなくとも戦うことができるボクシングに憧れていた。中学校の卒業文集には「世界チャンピオンになる」と書いている。ボクシング部のある南京都高校に進学し、片道2時間半の通学をしながら練習に励んだ。武元前川監督の指導の下、本来は右利きでありながら、右手を前に構えるサウスポースタイルを身につけ、高校3年時に2000年富山国体少年男子フェザー級で優勝した。この時の第3位は後の世界の2階級を制覇する粟生隆寛。高校ボクシング部の後輩には、ロンドン五輪ボクシングミドル級金メダリストで現在プロボクサーの村田諒太がいる。
専修大学進学後はボクシング部の主将を務めたが、「ボクシングへの情熱が高校時代に燃え尽き、情念が薄れていた」という状況で、4年生時には最後の試合と位置付けて国体に出場した。しかし、初戦で敗退したことで「このままでは終われへん。」と考えを変え、プロ入りを決意したという。世界チャンピオンを多数輩出している東京の帝拳ボクシングジムへ入門。プロ初戦は06年1月7日、東京都の後楽園ホールでの高橋仁(角海老宝石ボクシングジム)戦で6回判定勝ちし、プロデビューを飾った。以後、働きながらのボクサー生活で練習時間の確保も難しいなか努力を重ね、二つの引き分けをはさんで11連勝。10年6月20日には、日本バンタム級王者安田幹男(六島ボクシングジム)を7回TKOで下し、日本バンタム級のタイトルを獲得した。このタイトルを一度防衛した後の11年11月6日、プロ入り後17戦目でメキシコのクリスチャン・エスキベルとWBC世界バンタム級王座決定戦を行い、11回1分28秒TKO勝ちで世界タイトルを獲得した。以降、8回連続防衛している(うち6度がKO/TKO)。
圧倒的な破壊力を持つ左ストレートは、「神の左」と呼ばれる。15年5月には、アメリカの権威あるボクシング専門紙「RING」が選ぶ「パウンド・フォー・パウンド」(全階級を通じての最強選手ランキング)で10位に選ばれた。15年4月までの戦績は、25戦23勝(17KO)2分。
(葛西奈津子 フリーランスライター/2015年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報