朝日日本歴史人物事典 「山之内仰西」の解説
山之内仰西
生年:生年不詳
江戸中期の伊予国(愛媛県)浮穴郡の商人。屋号山田屋,名は彦左衛門光実,仰西は号。久万・入野の両村は用水源に乏しく,西明神村(いずれも久万町)の天丸川を堰とめ,樋をつないで取水したが,洪水のたびに破損した。彼は恒久策として途中に横たわる安山岩を掘削して水路を通ずる計画をたて,多数の人夫を雇い3カ年の歳月をかけて完了させた。用水路は長さ57m,幅2.3m,深さ1.5mあり,下流25haの水田を潤したが,彼は工事に私財を投じたため破産した。この水路は現存し,「仰西渠」と呼ばれ,県指定の史跡となっている。なお三坂峠の改修工事にも貢献した。<参考文献>菅南太郎『愛媛農業史』中
(景浦勉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報