山内 万寿治
ヤマノウチ マスジ
明治・大正期の海軍中将,男爵 貴院議員(勅選)。 兵器製造の功労者。
- 生年
- 万延1年3月29日(1860年)
- 没年
- 大正8(1919)年9月18日
- 出生地
- 江戸
- 出身地
- 安芸国(広島県)
- 学歴〔年〕
- 海兵(第6期)〔明治12年〕卒
- 経歴
- 広島藩士の二男として生まれる。明治6年平民出身として初めて海軍兵学寮(のち海軍兵学校)に入学。12年首席で卒業、15年少尉に任官。17年ドイツ、オーストリアに留学して兵器製造の研究に従事。海軍兵器の向上に尽力し、山内式速射砲などを考案。呉海軍造兵廠長、36年呉鎮守府艦政部長、同年呉海軍工廠長などを歴任、38年海軍中将に昇進。39年呉鎮守府長官を経て、42年予備役に編入。この間、40年男爵となり、43年貴院議員に勅選。日本製鋼所会長などを務めたが、シーメンス事件に連座して大正4年依願免官となる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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山内 万寿治
ヤマノウチ マスジ
- 肩書
- 貴院議員(勅選)
- 生年月日
- 万延1年3月29日(1860年)
- 出生地
- 江戸
- 出身地
- 安芸国(広島県)
- 学歴
- 海兵(第6期)〔明治12年〕卒
- 経歴
- 広島藩士の二男として生まれる。明治6年平民出身として初めて海軍兵学寮(のち海軍兵学校)に入学。12年首席で卒業、15年少尉に任官。17年ドイツ、オーストリアに留学して兵器製造の研究に従事。海軍兵器の向上に尽力し、山内式速射砲などを考案。呉海軍造兵廠長、36年呉鎮守府艦政部長、同年呉海軍工廠長などを歴任、38年海軍中将に昇進。39年呉鎮守府長官を経て、42年予備役に編入。この間、40年男爵となり、43年貴院議員に勅選。日本製鋼所会長などを務めたが、シーメンス事件に連座して大正4年依願免官となる。
- 没年月日
- 大正8年9月18日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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山内万寿治 やまのうち-ますじ
1860-1919 明治時代の軍人。
万延元年3月29日生まれ。安芸(あき)広島藩士の子。ヨーロッパに留学して兵器製造を研究,山内式速射砲などを考案した。呉海軍工廠長,呉鎮守府司令長官を歴任。明治38年海軍中将。貴族院議員。日本製鋼所会長をつとめたが,シーメンス事件に関係して隠退した。大正8年9月18日死去。60歳。海軍兵学校卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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