日本歴史地名大系 「山口御厨」の解説 山口御厨やまぐちのみくりや 静岡県:掛川市山口御厨平安後期から鎌倉初期にかけて、現掛川市東部にあった伊勢神宮外宮領の御厨。のち山口郷・山口の記載もみられる。佐野(さや)郡から榛原(はいばら)郡へ越える小夜中山(さよのなかやま)の登り口にあたるところから、山口の名がついたという。庄域は逆(さか)川沿いの成滝(なるたき)から源流にいたる流域で、本所(ほんじよ)や伊達方(だてがた)(山口神社がある)が東山口の、成滝(神明神社がある)が西山口の中心と考えられる。延久二年(一〇七〇)立庄し、嘉承三年(一一〇八)の内外二宮注文にも記載されたが、保安二年(一一二一)西隣に小高(おたか)御厨が成立すると、同御厨の給主が山口郷は同御厨の内だと称して知行したので、山口御厨の供祭神役が欠如する事態となった。そこで山口御厨の給主外宮権神主光親は、山口・小高はともに勅免の神領として郷名を冠する「各別之地」であると訴え、外宮は建久二年(一一九一)八月二三日にこの訴えを朝廷に上げた(以上、同三年八月日「伊勢神宮神領注文写」神宮雑書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by