山守庄(読み)やまもりのしよう

日本歴史地名大系 「山守庄」の解説

山守庄
やまもりのしよう

小鴨おがも川上流とその支流矢送やおくり川流域一帯に比定される。「和名抄」東急本に載る久米くめ郡山守郷に成立したと考えられ、安元二年(一一七六)二月日の八条院所領目録(山科家古文書)に女院庁分として「伯耆国山守」とみえ、これ以前に太政官符によって不輸租を認められ庄園となっていたことが知られる。貞応二年(一二二三)慈円が当庄など青蓮院門跡領を良快に譲っている。当庄からは伯耆国器(升)で計って三〇〇石が年貢として京に進納されるが、そのうち一五〇石は護摩用途に指定されていた。また慈円は預所職を子息に譲ることを大蔵卿菅原為長と約束している(以上「慈円置文」華頂要略)。天福二年(一二三四)八月、良勝は大成就院領である当庄などを慈源に譲るため、所領注文を作成しているが、当庄は北谷南谷に分れ、所当は各々一五〇石で、北谷にはそのほか地頭分があり、南谷の所当は護摩用途に充てられていた(「慈源所領注文写」華頂要略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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