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山岡宗無 やまおか そうむ

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美術人名辞典の解説

山岡宗無

安土桃山時代の茶人・堺の富豪。名は久永、通称は捨十郎・吉左衛門、別号は南渓等。松永久秀の子といわれるが、堺の酒造業者山岡宗瑞の養子となり住吉屋を継ぐ。茶の湯武野紹鴎千利休に学ぶ。織田信長に参伺し、のち豊臣秀吉の茶頭八人衆を務めた。また春屋宗園に参禅して、堺に薬仙寺を開創した。文禄4年(1595)歿、享年未詳。〔他に慶長8年(1603)・慶長18年(1613)歿の説あり〕

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山岡宗無 やまおか-そうむ

?-1595 戦国-織豊時代の商人,茶人。
松永久秀の庶子といわれ,堺の富商住吉屋宗瑞の養子となり,住吉屋宗無とも称した。茶を武野紹鴎(じょうおう),千利休にまなぶ。織田信長に親近し,豊臣秀吉の茶頭(さどう)をつとめた。「宗無肩衝(かたつき)」などの名物を所持。文禄(ぶんろく)4年7月15日死去。名は久永。通称は捨十郎,吉左衛門。別号に南渓。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

山岡宗無

没年:文禄4.7.15(1595.8.20)
生年:生年不詳
室町末・安土桃山時代の堺の富商,茶湯者。千利休の莫逆の友であり,武人の面影の濃い典型的な堺衆。名は久永,通称捨十郎。道号は南渓。松永久秀の庶子といわれ,堺の酒造業者山岡宗瑞(住吉屋)に育てられた。住吉屋宗無ともいう。利休より6,7歳の年少と推定されるが,武野紹鴎の茶に会い,剣を上泉伊勢守秀綱に学ぶ。今井宗久と共に早く織田信長に参伺し,豊臣秀吉との交流も深い。大徳寺の春屋宗園に参禅して,堺に薬仙寺を開創。子に宗外があり,孫の安室宗閑は大徳寺の176世住持に出世している。松本茶碗,宗無肩衝(唐物茶入),飯銅の茶壺など名品の所持も知られる。生没年を天文3~慶長8年(1534~1603)とするもの,また安室宗閑を子とするものもあるが,いずれも史料的に認めがたい。<参考文献>『堺市史』

(戸田勝久)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の山岡宗無の言及

【野点】より

…同書〈滅後〉の巻に,天正15年(1587)6月に九州征伐のおり博多(箱崎)に駐留した豊臣秀吉に,海浜の松原で千利休が松葉をかきよせ,これを燻(ふす)べて湯を沸かし茶を点(た)てたとあり,さらに同書には九州大善寺山,京都糺森(ただすのもり)での事例が掲げられている。箱崎松原での利休の働きは秀吉の大いに嘉賞するところとなり,山岡宗無(茶匠住吉屋宗無。1534‐1603),津田宗及にも〈フスベ茶ノ湯〉を出すことを求めたという。…

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