朝日日本歴史人物事典 「山岡宗無」の解説
山岡宗無
生年:生年不詳
室町末・安土桃山時代の堺の富商,茶湯者。千利休の莫逆の友であり,武人の面影の濃い典型的な堺衆。名は久永,通称捨十郎。道号は南渓。松永久秀の庶子といわれ,堺の酒造業者山岡宗瑞(住吉屋)に育てられた。住吉屋宗無ともいう。利休より6,7歳の年少と推定されるが,武野紹鴎の茶に会い,剣を上泉伊勢守秀綱に学ぶ。今井宗久と共に早く織田信長に参伺し,豊臣秀吉との交流も深い。大徳寺の春屋宗園に参禅して,堺に薬仙寺を開創。子に宗外があり,孫の安室宗閑は大徳寺の176世住持に出世している。松本茶碗,宗無肩衝(唐物茶入),飯銅の茶壺など名品の所持も知られる。生没年を天文3~慶長8年(1534~1603)とするもの,また安室宗閑を子とするものもあるが,いずれも史料的に認めがたい。<参考文献>『堺市史』
(戸田勝久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報