山岡宗無(読み)やまおか・そうむ

朝日日本歴史人物事典 「山岡宗無」の解説

山岡宗無

没年文禄4.7.15(1595.8.20)
生年:生年不詳
室町末・安土桃山時代の堺の富商,茶湯者。千利休の莫逆の友であり,武人面影の濃い典型的な堺衆。名は久永,通称捨十郎。道号は南渓松永久秀庶子といわれ,堺の酒造業者山岡宗瑞(住吉屋)に育てられた。住吉屋宗無ともいう。利休より6,7歳の年少と推定されるが,武野紹鴎の茶に会い,剣を上泉伊勢守秀綱に学ぶ。今井宗久と共に早く織田信長に参伺し,豊臣秀吉との交流も深い。大徳寺の春屋宗園に参禅して,堺に薬仙寺を開創。子に宗外があり,孫の安室宗閑は大徳寺の176世住持に出世している。松本茶碗,宗無肩衝(唐物茶入),飯銅の茶壺など名品所持も知られる。生没年を天文3~慶長8年(1534~1603)とするもの,また安室宗閑を子とするものもあるが,いずれも史料的に認めがたい。<参考文献>『堺市史

(戸田勝久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山岡宗無」の解説

山岡宗無 やまおか-そうむ

?-1595 戦国-織豊時代の商人,茶人。
松永久秀の庶子といわれ,堺の富商住吉屋宗瑞の養子となり,住吉屋宗無とも称した。茶を武野紹鴎(じょうおう),千利休にまなぶ。織田信長に親近し,豊臣秀吉の茶頭(さどう)をつとめた。「宗無肩衝(かたつき)」などの名物を所持。文禄(ぶんろく)4年7月15日死去。名は久永。通称は捨十郎,吉左衛門。別号に南渓。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山岡宗無の言及

【野点】より

…同書〈滅後〉の巻に,天正15年(1587)6月に九州征伐のおり博多(箱崎)に駐留した豊臣秀吉に,海浜の松原で千利休が松葉をかきよせ,これを燻(ふす)べて湯を沸かし茶を点(た)てたとあり,さらに同書には九州大善寺山,京都糺森(ただすのもり)での事例が掲げられている。箱崎松原での利休の働きは秀吉の大いに嘉賞するところとなり,山岡宗無(茶匠住吉屋宗無。1534‐1603),津田宗及にも〈フスベ茶ノ湯〉を出すことを求めたという。…

※「山岡宗無」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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