クック諸島(読み)クックショトウ(その他表記)Cook Islands 英語

デジタル大辞泉 「クック諸島」の意味・読み・例文・類語

クック‐しょとう〔‐シヨタウ〕【クック諸島】

Cook Islands南太平洋ポリネシア南部にある島国。北部7島、南部8島からなる。首都は南クック諸島、ラロトンガ島アバルア。1773年にJ=クックが訪れた。その後、英保護領となったが1901年ニュージーランドに編入。1965年に独自憲法を制定し、軍事など以外の自治権を得た。2011年に日本が国家承認国連未加盟。人口2万(2019)。

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精選版 日本国語大辞典 「クック諸島」の意味・読み・例文・類語

クック‐しょとう‥ショタウ【クック諸島】

  1. ( クックはCook ) 南太平洋中部の諸島。北部、南部の二つの島群に分かれ、ポリネシア系の住民が住む。一七七三年クックが到達。一八八八年イギリス保護領、一九〇一年来ニュージーランド領。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クック諸島」の意味・わかりやすい解説

クック諸島
くっくしょとう
Cook Islands 英語
Kūki 'Āirani マオリ語

南太平洋のサモアタヒチの中間地点に位置するポリネシアの群島国家。国土面積237平方キロメートルは、鹿児島県徳之島の広さに相当する。人口は2万2600(2009年、クック諸島統計局)で、ニュージーランドとの自由連合国。首都は南クック諸島のラロトンガ島(67平方キロメートル)のアバルアで、人口の約半分がこの島に住む。

[小林 泉]

自然・地誌

国土は六つの環礁からなる北クック諸島(北グループ)と火山島、環礁島が入り交じる9島の南クック諸島(南グループ)からなる。首都アバルアがある南クック諸島のラロトンガ島は楕円(だえん)形の島で周囲は32キロメートル。中央に海抜652メートルのテ・マンガ山を最高峰に400~500メートルの山々が連なり、島の周囲は白い砂浜に囲まれている。山と砂浜が広範囲に及ぶこうした景観は、太平洋島嶼(とうしょ)といえどもさほど多くはない。リゾート地として名高い。これに次ぐ第二のリゾート地として開発されたのは、ラロトンガ島の北に位置する、三角の環礁に囲まれたアイツタキ島(18平方キロメートル)である。

 クック諸島は熱帯海洋性気候であるが、南部の島々は南緯21度以上に位置するので、冬にあたる6月~8月はかなり涼しい。住民は90%がポリネシア人で、ニュージーランドのマオリはこの島から渡ったと語り継がれている。そのほかは白人との混血やニュージーランド人、周辺諸島人などである。諸島外への移民も多く、ニュージーランドには国内人口の3倍以上のクック人コミュニティが形成されている。自由連合関係により、国民はニュージーランド国籍も所有できるからである。そのため、とくに離島では過疎化が進み、空き家が目だつ。ラロトンガ島に暮らす人々の日常も、ほとんどポリネシアの伝統的生活方式が消えて西洋化している。

[小林 泉]

歴史

記録では、1595年にスペインのアルバロ・デ・メンダーニアが北クック諸島のプカプカ島を「発見」。1773年から1779年には、イギリス人ジェームズ・クックが南クック諸島の島々を調査した。1800年代初頭、ロシア海軍はこの地域の島々を「クック諸島」という名で海図に書き込んだ。偉大な航海者クックへの敬意の表明であった。1821年にロンドン伝道協会宣教師ウイリアムがアイツタキ島に上陸して布教を始めてから、キリスト教が諸島一帯に一気に広まった。

 1888年にイギリスが属領とし、1901年にニュージーランドが統治を引き継いだ。1965年にはニュージーランドとの自由連合関係の下に自治権を獲得。2001年に両国首相の共同宣言で、クック諸島が主権独立国家として外交を行うことを表明した。

[小林 泉]

自由連合の政治地位

クック諸島とニュージーランドとの自由連合関係とは、クック諸島が軍事、安全保障の実行権と外交権をニュージーランドにゆだね、内政自治は自ら行うというものである。自由連合という名称は、どちらか一方の都合でいつでも解消できる「自由」があることに由来する。そのためクック諸島は自治領として扱われ、国連でも独立国として扱われていない。しかし、主権行為を徐々に拡大させ1970年代には地域国際機関に加盟、1980年代には世界保健機関(WHO)や国連食糧農業機関(FAO)の正式加盟国になった。さらに2001年には、二国間外交を積極的に展開することの合意をニュージーランドから得て、2011年時点では外交関係樹立国を、EU(ヨーロッパ連合)を含めて28か国まで増やしている。

[小林 泉]

政治

政体は立憲君主制で、イギリス女王(国王)が国家元首。行政は議院内閣制で、首相が自らを含めて6名の内閣を組織する。議会は一院制で議席数24。2004年9月の総選挙からこれまで5年であった任期を4年に短縮した。

 自治政府の発足後、政党は分裂や離合集散が繰り返されてきたが、近年では政府発足時に結成されたクック諸島党と1971年に結成された民主党の二大政党間で政権を争う形が続いている。国外への人口流出や都市部への人口集中によって、伝統的な社会構造の維持や部族間の対立意識は希薄になっており、政党間の争点は経済問題と対外関係問題である。中国とも外交関係を結び、借款、無償ともに多額の援助を受けている。

[小林 泉]

経済・社会

国家財政など、基本的にはニュージーランドに依存している。しかし、ラロトンガ島、アイツタキ島を中心にした観光業を主に、輸出産品としてカツオ、マグロなどの鮮魚や黒真珠があり、農業生産による商品作物もある。ラロトンガ島は、美しいビーチ景観を利用して島全体がリゾート開発されており、高級なコテージ型ホテルを主にした宿泊施設が充実している。オーストラリアやニュージーランドばかりではなくヨーロッパからも客を引き寄せ、年間観光客数は9万人を超えている。

 国連統計による国民1人当りGNI(国民総所得)は9749ドル(アメリカ・ドル、2009年)であるが、別のデータでは1万ドルを超える数字もあり、中進国の水準に達している。しかしその分、首都と離島との経済格差が広がり、これが首都への人口集中や国外への転出者が相次ぐ原因になっている。使用通貨はニュージーランド・ドル。

 言語はマオリ語と英語がともに公用語として使われている。宗教はキリスト教が大半を占め、プロテスタントがおよそ70%で、そのほかはカトリックである。

 暮らしのなかでの伝統文化は薄れたが、打楽器の多重奏による伝統舞踏は引き継がれている。それはタヒチと並び称されるほど魅力的で、クック・ダンスとして太平洋各地で親しまれている。

 教育はニュージーランドの制度を取り入れており、初等教育は8年制、中等教育は前期2年、後期3年の5年制になっている。教育言語は初等後期から完全に英語に移行する。ハイスクールの修了後は、国内に看護師や教師の養成コースを備えた短期大学があるが、ニュージーランドの大学に進学する者も少なくない。

[小林 泉]

日本との関係

日本からは遠いため、日本人観光客は少ない。近年では、鮮魚は黒真珠のほか、パパイヤ、ノニジュース(熱帯植物ノニの果汁)などの農作物が日本へ輸出されている。

 これまでの日本政府は、クック諸島を太平洋諸島フォーラムPIF)の一加盟国としての交流を続けてきており、正式にはニュージーランドの自治領としての扱いで二国間の外交対象国としてこなかったが、2011年(平成23)3月にクック諸島を国家として承認した。日本にとって193番目の外交関係樹立国となった。日本政府の公館はなく、在ニュージーランド日本大使館が兼轄している。2008年までの累積で8.27億円のODA(政府開発援助)が供与されている。

[小林 泉]

『近森正編著『サンゴ礁の景観史――クック諸島調査の論集』(2008・慶応義塾大学出版会)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クック諸島」の意味・わかりやすい解説

クック諸島
クックしょとう
Cook Islands

正式名称 クック諸島 Cook Islands。
面積 236.7km2
人口 1万4974(2011推計)。
首都 ラロトンガ島アバルア

南太平洋に位置し,ニュージーランド自由連合協定を締結している島国。15の小さな島と環礁が約 200万km2の海域に点在する。各島は一つまたは複数の海底火山の頂上に位置し,大きな島では消滅した火山の噴火口跡が島の景観を形づくっている。最高点はラロトンガ島のテ・マンガ山の標高 652m。南北二つの島嶼群に分かれ,南部はラロトンガ島,マンガイア島,アチウ島,ミチアロ島,マウケ島,アイツタキ島,マヌアエ島,パーマストン島,タクテア島からなり,北部はトンガレバ島(ペンリン島),マニヒキ島,プカプカ島,ラカハンガ島,ナッソー島,スワロー島からなる。北部の島は,ナッソー島を除くすべての島に海洋生物が豊かに生息する礁湖(ラグーン)があり,礁湖を取り囲むサンゴ礁の上には砂州が広がっている。ほぼすべての島が熱帯に属するが,南東貿易風の影響を受けて気候は穏やかで,年平均気温はラロトンガ島で約 24℃,最北のトンガレバ島で約 28℃である。
長らくポリネシア人のみが居住していたが,19世紀初めにはヨーロッパ系,中国系,アフリカ系の入植者との混血が進んだ。1595年のスペイン人探検家によるプカプカ島上陸など,16世紀末から 17世紀初頭にかけてスペイン人が北部のいくつかの島を訪れたが定住しなかった。1773,1774,1777年のジェームズ・クックによる 3度の南島来航を経て,1821年にロンドン伝道会 London Missionary Societyの宣教師がアイツタキ島を訪れて定住,アリキ(酋長)と呼ばれる権力者をはじめ多くの住民がキリスト教に改宗した。タヒチ島や他のソシエテ諸島のようにフランスによる占領を嫌った一部権力者たちの要請を受けて,イギリスは 1888年にクック諸島を保護領とし,連邦議会を設置した。散らばった島々が統一政府のもとに置かれるのはこれが初めてだった。1901年ニュージーランドに併合され,1912年以降,1946年に立法評議会 Legislative Councilが組織されるまで,議会は消滅した。1957年立法評議会の権限が拡大し,立法議会 Legislative Assemblyと改められた。1965年内政自治権が認められ,ニュージーランドとの間で自由連合協定が結ばれた。1971年に南太平洋フォーラム SPF(2000年に太平洋諸島フォーラム PIFに改称)に加盟。20世紀後半はおもにニュージーランドの支援を受けて,インフラストラクチャー整備や観光開発に取り組んだ。2011年に日本,2023年にアメリカ合衆国がクック諸島を国家承認し,外交関係を結んだ。
住民は,サモア系やトンガ系が暮らすプカプカ島を除き,ほとんどがポリネシア系で占められている。また公式人口の約半数はニュージーランドやオーストラリアなどの国外移住者である。公用語はクック諸島マオリ語(→マオリ語)と英語。
小規模農業が行なわれ,国内消費用あるいはニュージーランド輸出用にキャッサバ,サツマイモ,根菜類がつくられている。商業漁業はアメリカ合衆国領サモアを拠点とする台湾や大韓民国(韓国),日本の漁船によるものだが,国内向けの漁業も広く行なわれ,数種類のマグロが漁獲される。また輸出用に真珠が養殖される。工業部門では衣料品・靴の製造,食品加工が行なわれる。マニヒキ島のラグーンの底にはリン鉱石が,同島の近海底にはマンガン,コバルトなどの鉱床が存在し,1999年に試掘が始まった。

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改訂新版 世界大百科事典 「クック諸島」の意味・わかりやすい解説

クック[諸島]
Cook Islands

基本情報
正式名称=クック諸島Cook Islands 
面積=236km2 
人口(2009)=2万2600人 
首都=アバルア(ラロトンガ島,日本との時差=+5時間) 
主要言語=マオリ語,英語 
通貨=ニュージーランド・ドルNew Zealand Dollar

南緯8~23°,西経156~167°の南太平洋上に位置する諸島。マニヒキ,ラカハンガなど6個の環礁からなる北部群島と,ラロトンガ,マンガイアなど7個の火山島および2個の環礁とからなる南部群島とに分かれ,人口の9割は南部群島に住む。島民はポリネシア人で,身体形質,言語ともにニュージーランドのマオリ族に近い。北部群島ではコプラ,南部群島ではバナナ,かんきつ類,パイナップルなどを産し,ニュージーランドに輸出する。クック諸島の名は,1770年代に3度来航したイギリス人キャプテン・クックに由来する。1888年イギリスの保護領とされ,1901年にニュージーランド領に編入されたが,65年に外交、防衛をニュージーランドに委任する自由連合制に移行。2001年ニュージーランドとの両国共同宣言でクック諸島が主権独立国家として外交を行うことを表明。日本は11年3月に国家承認した。
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百科事典マイペディア 「クック諸島」の意味・わかりやすい解説

クック諸島【クックしょとう】

◎正式名称−クック諸島Cook Islands。◎面積−235km2。◎人口−1万5000人(2011)。◎首都−アバルア(ラロトンガ島)。◎住民−ポリネシア人。◎宗教−大半がキリスト教。◎言語−マオリ語,英語。◎通貨−ニュージーランド・ドルNew Zealand Dollar。◎元首−英女王エリザベス2世,名代トム・マースターズTom Marsters。◎首相−プナHenry Puna(2010年12月就任)。◎国会−一院制(定員24,任期4年)。◎GNI−19万ドル(2009)。◎1人当りGNI−9749ドル(2009)。◎平均寿命−男72歳,女80歳(2009)。    *    *ニュージーランド北東方約3200km,南太平洋に散在する島々で構成される国。環礁からなる北グループの6島と,7島と2環礁からなる南グループに分かれる。ココナッツ,バナナ,タロイモなどを栽培し,トマト,柑橘(かんきつ)類,コプラが重要な輸出品である。主島はラロトンガ島。1773年ジェームズ・クックが来島,1888年英保護領,1901年ニュージーランド領。1965年内政の自治権を獲得,2001年主権独立国家を宣言。ニュージーランドへの移民が多く,人口の減少が問題となっている。
→関連項目ポリネシア

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