山崎経塚(読み)やまさききようづか

日本歴史地名大系 「山崎経塚」の解説

山崎経塚
やまさききようづか

[現在地名]多久市多久町字山崎

標高二一三メートルの独立小丘である山崎山の南中腹、八〇メートル余りの傾斜面に築成されていた経塚で、眼下牛津川支流が東流する。築成年代は平安時代後期の天治元年(一一二四)である。

昭和三二年(一九五七)発見され、遺構と出土遺物の調査が実施された(「山崎経塚」新郷土・昭和三三年一〇月号、「佐賀県多久市山崎経塚」九州考古学・昭和三三年七月・八月合併号)。経塚出土品は県指定重要文化財。

経塚の周囲は、赤褐色の粘土質土壌が約九〇センチの厚さで広がり、その下は軟らかい集塊岩の岩盤となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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