朝日日本歴史人物事典 「山崎美成」の解説
山崎美成
生年:寛政8(1796)
江戸後期の随筆作家,雑学者。名は美成,字は久卿,通称新兵衛のち久作。号は好問堂,北峰。江戸下谷長者町の薬種商,長崎屋の子。家業を継いだが,学問に没頭し,破産。江戸派国学の小山田与清に従学。文政3(1820)年から随筆『海録』(20巻,1837年成)に着手したが,その間,文政,天保期は主として曲亭馬琴や柳亭種彦,あるいは屋代弘賢や中村仏庵ら考証収集家と交わって,当時流行の江戸風俗考証にかかわった。史料展観合評会「耽奇会」や「兎園会」の肝煎を勤め,江戸市井では一目おかれた雑学者であった。しかし生計のため,晩年ほど営利目的のいわば企画もの編著が増え,精巧さに欠ける。『金杉日記』や随筆『三養雑記』『提醒紀談』は好著。
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報