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山崎覚太郎 やまざき かくたろう

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美術人名辞典の解説

山崎覚太郎

漆芸家。富山県生。東美校漆工科卒業。蒔絵にこだわらず、多彩な色漆と簡潔で軽妙な図案、斬新な構図による絵画的表現を確立。漆芸を用の概念から解放し、現代的な表現の可能性を追求する指導者として活躍した。帝展特選受賞。東美校教授。日展理事長・日本芸術院会員。文化功労者。昭和59年(1984)歿、84才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山崎覚太郎 やまざき-かくたろう

1899-1984 大正-昭和時代の漆芸家。
明治32年6月29日生まれ。パリ万国装飾工芸美術博,帝展などで受賞をかさね,昭和18年母校東京美術学校(現東京芸大)の教授。色漆の使用や斬新な構図で現代の漆芸界をリードした。芸術院会員。41年文化功労者。昭和59年3月1日死去。84歳。富山県出身。作品に「三曲衝立(ついたて)」,風炉先屏風(ふろさきびょうぶ)「猿」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山崎覚太郎
やまざきかくたろう
(1899―1984)

漆芸作家。富山市生まれ。東京美術学校漆工科を卒業。1925年(大正14)パリ博覧会で金賞受賞。27年(昭和2)帝展入選以来、文展、日展、実在工芸美術会展、光風会などに出品し、審査員を務める。43年、工芸技術講習所兼東京美術学校教授となり、57年(昭和32)日本芸術院会員、66年文化功労者。69年から5年間日展理事長も務めた。代表作の風炉先屏風(ふろさきびょうぶ)『猿』(1939・東京芸術大学)にみられる豊麗な色漆(いろうるし)の作風で現代漆芸界を先導した。著書に『海外工芸の新傾向』がある。[郷家忠臣]

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世界大百科事典内の山崎覚太郎の言及

【明治・大正時代美術】より

…この点で彼らの主張は,帝展(かつての文展)に工芸の出品を認めさせる運動の原動力ともなっていった。26年に,鋳金の高村豊周や内藤春治(はるじ)(1895‐1979),彫金の北原千鹿(せんろく)(1887‐1951),漆工の山崎覚太郎(1899‐1984),染色の広川松五郎(1889‐1952)らによって无型(むけい)が結成された。帝展に工芸部が設置された27年ころは彼らの活動も高揚し,この年,北原千鹿を中心にして,信田洋(のぶたひろし)(六平,1902‐90),山脇洋二(1907‐82)らの金工家が集まって工人社が結成された。…

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