山崎領(読み)やまざきりよう

日本歴史地名大系 「山崎領」の解説

山崎領
やまざきりよう

[現在地名]金沢市小立野こだつの五丁目

牛坂うしさか村の西に位置し、南は上野新うえのしん村。山崎地方やまざきじかたともいう。かつては山崎村と称し、石浦いしうら七ヵ村の一つに数えられた。寛永八年(一六三一)の石浦神社氏子七ヵ村地図(石浦神社蔵)によると、現在の石引いしびき町・出羽でわ町付近が山崎村地となっているように、往時の同村域は今の金沢城跡・兼六園を含み、小立野台地の先端丘陸一帯を占めていたと考えられる。しかし金沢城下建設とともに村地のほとんどが町場化したため村民南方に移転、辰巳たつみ用水の余水を利用して原野を開き上野新村を立てた。一方、山崎村は無民家となり山崎領とよばれるようになった(「加賀志徴」など)。なお中世の山崎村地内にはくぼ(凹市)が含まれていた。

「経俊卿記」康元二年(一二五七)閏三月一四日条に「安江庄内本庄・山前、桜田村」とみえ、山崎村は安江やすえ庄内であった。花山院師継が内室右衛門局の先養母尼尊恵の譲状の趣旨に従って、同村などを子息妙光に知行させるよう院宣を要請、認められている。正和元年(一三一二)頃と推定される白山宮水引神人沙汰進分注文案(三宮古記)に「山崎村紺一端 佐井河ト栗」「山崎 凹市紺一」とあって、山崎村窪市は白山宮神人として白山本宮水引幕を納入する紺掻業者の拠点の一つで、その商圏は佐井河(犀川)・「栗河」(大野川か)に囲まれた地域と定められていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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