山本慈昭(読み)ヤマモト ジショウ

20世紀日本人名事典 「山本慈昭」の解説

山本 慈昭
ヤマモト ジショウ

昭和・平成期の社会福祉家,僧侶 日中友好手をつなぐ会会長;長岳寺(天台宗)住職



生年
明治35(1902)年1月25日

没年
平成2(1990)年2月15日

出生地
長野県飯田市

学歴〔年〕
専修叡山学院卒

主な受賞名〔年〕
吉川英治文化賞(昭57年度),勲六等瑞宝章〔昭和62年〕

経歴
昭和12年住職に。20年5月満蒙開拓団の教師として中国へ。敗戦後ソ連に抑留され、妻子と離別し22年帰国。41年から中国残留孤児たちの肉親さがしに尽力しこれまでに約270人の孤児の肉親を捜し出す。48年日中友好手をつなぐ会結成。厚生省が肉親捜しに重い腰を上げてからは、永住帰国者の援助や中国の養父母へのお礼などに活動の重点を置く。59年、孤児のための永住帰国者センター建設準備を開始。日本語教室や調理室を設け、永住帰国者の自立を支援した。著書に「戦争は未だ終わらない」「京極高知伝」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本慈昭」の解説

山本慈昭 やまもと-じしょう

1902-1990 昭和後期-平成時代の福祉活動家。
明治35年1月25日生まれ。満州(中国東北部)の開拓団国民学校の校長終戦をむかえる。昭和22年帰国。長野県阿智村の長岳寺住職のかたわら,中国残留日本人孤児の肉親探しをはじめ,48年日中友好手をつなぐ会を結成。日中両国政府に働きかけ,おおくの孤児の帰国を実現させた。57年吉川英治文化賞。平成2年2月15日死去。88歳。長野県出身。専修叡山学院卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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