20世紀日本人名事典 「山本梅崖」の解説 山本 梅崖ヤマモト バイガイ 明治期の経世家,漢学者 生年嘉永5年2月12日(1852年) 没年昭和3(1928)年9月6日 出生地土佐国(高知県) 経歴明治2年致道館の儒員となり子弟に教授した。4年上京して塾を設け、またオランダ人のライヘより地理学を授けられた。10年西南戦争に従軍、帰還後「大阪新報」記者となり、以後「中国日々新聞」「越前自由新聞」などに自由主義の筆をふるった。15年大阪に漢学専門塾を開き、かたわら自由党のために奔走し、朝鮮独立を企てたりした。のち檄文執筆のかどで罪を得たが、22年憲法発布とともに大赦にあった。以後は政界とは絶縁し、専ら教育と経世につとめた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本梅崖」の解説 山本梅崖 やまもと-ばいがい 1852-1928 明治-大正時代の漢学者,自由民権運動家。嘉永(かえい)5年2月12日生まれ。山本澹泊斎(たんぱくさい)の孫。自由民権を説いて「大阪新報」「岡山稚児(ちご)新聞」などで活躍。明治18年大阪事件で檄文(げきぶん)をかき投獄される。出獄後は15年に大阪にひらいた梅清処塾で漢学教授に専心した。昭和3年9月6日死去。77歳。土佐(高知県)出身。名は憲。著作に「梅清処文鈔」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by