20世紀日本人名事典 「山本竟山」の解説 山本 竟山ヤマモト キョウザン 明治〜昭和期の書家 生年文久3年9月28日(1863年) 没年昭和9(1934)年1月24日 出生地美濃国厚見郡岐阜町(岐阜県岐阜市) 本名山本 由定 別名通称=右兵衛,別号=啓鳳 経歴若くして書道を志し、神谷簡斎、日下部鳴鶴に師事。中国には7度遊学し、金石学、古碑法帖の研究につとめた。六朝風新派書道の俊秀として知られた。明治末には京都に住み、書道を教授する傍ら、泰東書道院、東邦書道会などの顧問を務めた。著作に「竟山学古」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本竟山」の解説 山本竟山 やまもと-きょうざん 1863-1934 明治-昭和時代前期の書家。文久3年9月28日生まれ。日下部鳴鶴(くさかべ-めいかく)にまなび,清(しん)(中国)に遊学して楊(よう)守敬らと交遊した。京都に塾をひらき,泰東書道院などの顧問をつとめた。昭和9年1月24日死去。72歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。名は由定。通称は右兵衛。別号に聾鳳。著作に「竟山学古」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by