山本達郎(読み)ヤマモト タツロウ

20世紀日本人名事典 「山本達郎」の解説

山本 達郎
ヤマモト タツロウ

昭和・平成期の東洋史学者 東京大学名誉教授;東方学会名誉会長。



生年
明治43(1910)年6月16日

没年
平成13(2001)年1月24日

出生地
東京

旧姓(旧名)
松村

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部東洋史学科〔昭和8年〕卒

学位〔年〕
文学博士

主な受賞名〔年〕
毎日学術奨励金〔昭和24年〕,日本学士院賞〔昭和27年〕「安南史研究」,文化功労者〔昭和61年〕,文化勲章〔平成10年〕

経歴
昭和9年東方文化学院助手、17年東京帝国大学助教授を経て、24年教授、41年文学部長を歴任して、46年退官。この間、34年の「鄭和西征」で中国艦隊のインド洋遠征の実態を解明し国際的評価を受ける。のち国際基督教大学教授、エール大学客員教授、コーネル大学客員教授、東南アジア史学会初代会長、国際哲学人文科学協議会会長を務めた。平成10年文化勲章を受章。東南アジア史研究の先駆者として知られ、著書「安南史研究」でベトナム史の空白部分を埋めるなどアジア研究の推進に貢献し、国際学術交流に努めた。また“昭和”から“平成”に元号を改める際、元号の考案作業に携わった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山本達郎」の意味・わかりやすい解説

山本達郎
やまもとたつろう

[生]1910.6.16. 東京
[没]2001.1.24.
東洋史家。松村姓に生れるが,山本達雄養子となり改姓。 1933年東京大学東洋史学科卒業。東方文化研究所研究員を経て,42年東京大学助教授,49~71年同教授。退官後 72年国際基督教大学教授。 75年国際哲学人文科学協議会会長。『鄭和の征西』で国際的な評価を得て以降,ベトナム史の空白を埋めるべく研究を深め,1952年『安南史研究』で学士院賞を受賞。パリサイゴンにおもむいて資料の収集,調査を行い,10世紀のベトナムが中国王朝の支配から脱却し,元・明王朝の征服に抵抗していく過程を明らかにした。ベトナムの対中国交渉史,南海交通史,唐代田制,戸制などの研究に加えてインド・イスラム文化諸王朝の考古学的調査も行っている。 67年学士院会員。 86年文化功労者。 98年文化勲章を受章。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本達郎」の解説

山本達郎 やまもと-たつろう

1910-2001 昭和-平成時代の東洋史学者。
明治43年6月16日生まれ。山本達雄の孫で,養子。昭和24年東大教授となる。のち国際基督教大教授。南方史研究会(現東南アジア史学会)を組織。27年「安南史研究」で学士院賞。平成10年文化勲章。平成13年1月24日死去。90歳。東京出身。東京帝大卒。旧姓は松村。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「山本達郎」の解説

山本 達郎 (やまもと たつろう)

生年月日:1910年6月16日
昭和時代;平成時代の東洋史学者。東京大学教授
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android