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山本達雄 やまもと たつお

美術人名辞典の解説

山本達雄

財政家・政治家。男爵。豊後生。号は竹渓。教職を経て、三菱会社に入るが、その後日本銀行に入り、日本銀行総裁等を務める。政界に入ってからは、西園寺内閣大蔵大臣・農商務大臣を歴任し、政友本党・民政党の最高幹部も務める。一時政界を引退した事もあったが、斎藤内閣内務大臣となる等、政界の長老的存在として重きをなした。昭和22年(1947)歿、92才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山本達雄 やまもと-たつお

1856-1947 明治-昭和時代前期の銀行家,政治家。
安政3年3月3日生まれ。郵便汽船三菱会社(のちの日本郵船)に入社。日銀にうつり,明治31年総裁。貴族院議員となり,第2次西園寺内閣の蔵相,第1次山本・原・高橋各内閣の農商務相,斎藤内閣の内相を歴任。この間政友会をへて政友本党,民政党結成に参加した。昭和22年11月12日死去。92歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。三菱商業卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまもとたつお【山本達雄】

1856‐1947(安政3‐昭和22)
大正・昭和初期の銀行家,政治家。豊後国臼杵藩士の家に生まれ,三菱商業学校卒業。郵便汽船三菱会社(のち日本郵船)を経て,1890年三菱系の川田小一郎総裁に請われ日本銀行に入り,98年第5代総裁となる。日本勧業銀行総裁などを経,1911年西園寺公望内閣蔵相となり,緊縮財政をうちだす。13年山本権兵衛内閣農商務相のとき立憲政友会入党,原敬内閣農商務相などを歴任,24年床次(とこなみ)竹二郎とともに政友本党を組織し,のち民政党に合同。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山本達雄
やまもとたつお

[生]安政3(1856).3.3. 豊後
[没]1947.11.12. 神奈川,鎌倉
政治家,実業家。5代目日本銀行総裁。豊後臼杵藩士山本確の二男。大阪の小学校教員を経て上京,慶應義塾,三菱商業学校に学び,卒業後商業学校の教員となったが,1883年三菱会社横浜支店へ入社,のち日本郵船東京支店副支配人となった。 1890年日銀へ入り,1898~1903年4代目岩崎弥之助の後任として同総裁に就任。 1903年貴族院議員に勅選され,1909年日本勧業銀行総裁。 1911年には第2次西園寺公望内閣の大蔵大臣として緊縮財政を打ち出し,海軍拡張案および「陸軍二箇師団問題」などで,軍部と対立した。 1913年山本権兵衛内閣の農商務相を歴任する一方,政友本党立憲民政党の最高幹部として活動した。その後一時政界を退いたが,1932年斎藤実内閣の内相として復帰,財政問題の専門家,長老として指導的位置にあった。 1920年男爵。著書に『新撰実地商業算』 (1881) ,伝記に『山本達雄』 (1951) がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山本達雄
やまもとたつお
(1856―1947)

実業家、政治家。豊後(ぶんご)(大分県)臼杵(うすき)藩士山本確の二男。1880年(明治13)三菱(みつびし)商業学校卒業後、教員を勤めたが、1883年には三菱会社に入社し、同社幹部川田小一郎の知遇を得た。川田の招きで1890年に日本銀行に入り、1898年には第5代総裁に就任した。1903年(明治36)退官後は、貴族院議員、日本勧業銀行総裁を経て、1911年第二次西園寺公望(さいおんじきんもち)内閣の蔵相に就任し、財政の健全化の立場から陸海軍と対決するなど注目を集めた。その後も農商務、内務などの各大臣を歴任した。この間1913年(大正2)には政友会に入党、脱党後政友本党を結成し、さらに1926年に立憲民政党の結成時にはその最高顧問に就任した。[西村はつ]
『小坂順造編『山本達雄』(1951・同伝記編纂会)』

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