国の栄典の一つ。科学上の発明・発見、学術的研究、文芸、彫刻、建築、音楽などの分野で、その創造的発展にとくに功績のあった者に授与される勲章。等級差別のない単一級の勲章で、1937年(昭和12)2月11日の文化勲章令により定められた。当時は、科学、芸術などの分野において、海外の模倣と追随の域を出ないという情勢にあったため、独創的な文化の創造と育成を図ることとなり、その奨励策として文化勲章が創設された。それまでは芸術などの功績に対して叙勲が行われたことはほとんどなかった。受章候補者の選考は、文部科学大臣が、文化功労者年金法(昭和26年法津第125号)により文化功労者に決定された者のなかから、文化功労者選考分科会(文化庁文化審議会)の委員全員の意見を聴いて行い、内閣総理大臣に推薦することとなっている。文化勲章の授与は、1937年より実施され、1949年(昭和24)以降は原則として毎年1回、11月3日の文化の日に行われている。着用する場合の服装は、男子は紋付羽織袴(はかま)、フロックコートまたはモーニングコート、女子は白襟紋付とされている(これらに相当する服装も含む)。この勲章は、とくに和服にも似合うようにつくられ、中綬(ちゅうじゅ)で胸部中央に着用する。製式は、橘(たちばな)の花弁を模様化した章(メダル)の中央に勾玉(まがたま)を配し、鈕(ちゅう)(つまみ)に、橘の葉と実を配してある。
なお、人類最初の月着陸に成功(1969年7月)したアメリカの宇宙船アポロ11号の乗組員N・A・アームストロング船長以下3人に、外国人として初めて文化勲章が授与(1969年10月31日発令)された。
[内閣府賞勲局 2019年11月20日]
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科学や芸術など文化の発達に貢献した者に授与される勲章。1937年2月11日の文化勲章令(勅令)によって制定された。他の勲章のような等級はなく,称号とも結びつかず,年金もともなわない。しかし51年に文化功労者年金法ができてからは,文化勲章受章者は同時に文化功労者として文化功労年金を受けるのが例になっている。勲章は橘(たちばな)の花をかたどった清楚な様式である。受章者の選定は法令による規定はないが,文部省が委嘱した選考委員会が選んで閣議で決定している。1949年度からは,年1回文化の日(11月3日)に授与が行われている。84年までに44回の授与が行われ,受章者の合計は221人に達している。
日本の勲章は,国家に功績のあった軍人や政治家,官僚を顕彰するのが中心で,科学や芸術を軽視していたので,文化勲章の制定は戦争直前の日本としては異例のことであった。そのため敗戦後他の勲章の授与が中断したときも,文化勲章は継続して授与された。
執筆者:藤原 彰
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学問・芸術などで文化の発達に顕著な功績をあげた人に与えられる勲章。1937年(昭和12)2月11日の勅令文化勲章令にもとづいて制定された。49年以降は毎年11月3日の文化の日に授与される。51年4月3日公布の文化功労者年金法に文化勲章受章者も含まれることになり,終身年金350万円が贈られる。
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…一方,1929年8月には,収賄による叙勲申請という売勲事件がおこり,9月11日,前賞勲局総裁天岡直嘉が起訴・収監されて叙勲の情実と不公平があばかれ,昭和疑獄史のクライマックスとなった。 敗戦とともに,1937年制定の文化勲章(科学,文芸,絵画,彫刻,建築,音楽,演劇など文化にめざましい貢献をした者に授与される。勲等の別がなく単一級である)を除いて,叙位叙勲は廃止された(1946年5月3日幣原喜重郎内閣閣議決定)。…
※「文化勲章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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