山田寅吉(読み)ヤマダ トラキチ

20世紀日本人名事典 「山田寅吉」の解説

山田 寅吉
ヤマダ トラキチ

明治期の土木技術者 精糖事業のパイオニア



生年
嘉永6年12月21日(1854年)

没年
昭和2(1927)年3月31日

出生地
筑前国(福岡県)

学歴〔年〕
エコール・サントラル〔明治9年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治32年〕

経歴
福岡藩士・山田忠吾の長男として生まれる。明治元年頃、藩の官費生として渡英、3年フランスに移り、エコール・サントラル(中央工科学校)土木建築科へ入学。9年卒業して帰国、猪苗代の疏水工事に設計主任として従事、のち松方正義の依頼を受け北海道紋別製糖所建設主任となる。15年東京馬車道鉄道会社技師長、16〜19年内務省技師となり土木監督を担当。のち九州鉄道設計、大洋疏水工事、讃岐鉄道、佐野鉄道の設計などに当たる。日露戦争の際、朝鮮京釜鉄道、京義線鉄道の速成工事に尽力し、その後も灌漑工事や鉄道工事などで土木技師として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田寅吉」の解説

山田寅吉 やまだ-とらきち

1854*-1927 明治-大正時代の土木技術者。
嘉永(かえい)6年12月21日生まれ。明治9年フランスのエコール-サントラルを卒業。北海道紋別製糖所建設主任,東京馬車鉄道技師長,内務省技師などをつとめる。日露戦争の際,朝鮮の京釜鉄道,京義線鉄道の速成工事を担当した。昭和2年3月31日死去。75歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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