20世紀日本人名事典 「山田揆一」の解説 山田 揆一ヤマダ キイチ 明治・大正期の内務官僚 仙台市長。 生年弘化4年(1847年) 没年大正12(1923)年1月5日 出生地陸奥国一関(岩手県) 本名山田 勝矩 旧姓(旧名)桜岡 経歴一関藩士の四男に生まれる。幼少から山田俊佑に養われ、のち婿養子となる。慶応元年(1865年)郡方書記官見習、明治維新には藩職となり、のち水沢、磐井を経て、宮城県に転じ収税長に進み、石川県、鹿児島県などの税務監督署長、宮城県書記官、ついで広島県、滋賀県、福岡県に勤務。のち北海道内務部長を務め、大正2年退官する。4年市民の働きかけで第7代目仙台市長となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田揆一」の解説 山田揆一 やまだ-きいち 1847-1923 明治-大正時代の官僚。弘化(こうか)4年生まれ。石川県,鹿児島県などの税務監督署長,宮城県書記官,北海道内務部長を歴任。大正4年市民の働きかけで第7代仙台市長となった。大正12年1月5日死去。77歳。陸奥(むつ)一関(岩手県)出身。本姓は桜岡。名は勝矩。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by