山田荘左衛門(読み)ヤマダ ショウザエモン

20世紀日本人名事典 「山田荘左衛門」の解説

山田 荘左衛門(12代目)
ヤマダ ショウザエモン

明治・大正期の政治家 衆院議員。



生年
嘉永4年4月(1851年)

没年
大正6(1917)年10月1日

出生地
信濃国高井郡江部村(長野県中野市)

本名
山田 熊太郎

経歴
大地主の家に生まれ、長じて12代荘左衛門を襲名。維新後は北信商社の設立参画するなど実業界で活動するが、そのため明治3年の中野騒動で自邸を焼き討ちされた。のち政界に転じ、13年長野県会議員の補欠選挙当選。23年には多額納税者として貴族院議員に選ばれ、30年まで在職した。31年には第6回衆院議員選挙に出馬し、当選。以後、北信濃地方における政友会系の中心人物として重きをなした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田荘左衛門」の解説

山田荘左衛門 やまだ-しょうざえもん

1851-1917 明治-大正時代の政治家。
嘉永(かえい)4年4月生まれ。生家は信濃(しなの)東江部村(長野県中野市)の大地主。12代荘左衛門を襲名し,北信商社の創立に参画。明治13年県会議員となり,23年貴族院議員。のち荘哉を名のり,31年衆議院議員(政友会)。大正6年10月1日死去。67歳。本名は熊太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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