山田鬼斎(読み)やまだ きさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田鬼斎」の解説

山田鬼斎 やまだ-きさい

1864-1901 明治時代彫刻家
元治(げんじ)元年5月6日生まれ。仏師の家に生まれ,明治19年岡倉天心をたよって上京高村光雲助手をつとめ,29年東京美術学校(現東京芸大)教授となった。明治34年2月20日死去。38歳。越前(えちぜん)(福井県)出身本名は常吉。代表作に木彫「大塔宮護良親王像」,浮彫「平治物語図額」。

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367日誕生日大事典 「山田鬼斎」の解説

山田 鬼斎 (やまだ きさい)

生年月日:1864年5月6日
明治時代の彫刻家。東京美術学校教授
1901年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山田鬼斎の言及

【明治・大正時代美術】より

…ラグーザは15年間同校にあって,その門下からは大熊氏広(1856‐1934),藤田文蔵(1861‐1934),小倉惣次郎(1843‐1913),佐野昭(しよう)らが育った。彼らに加えて,81年から5年間ベネチアで学んだ長沼守敬(もりよし)が洋風彫塑の開拓者といえようが,国粋主義の伝統復興運動のさなかに設立された東京美術学校では,木彫だけが採用され,竹内久一(きゆういち)(1857‐1916),高村光雲,石川光明,山田鬼斎(1864‐1901)が登用された。93年に開かれたシカゴ万国博覧会には竹内の《伎芸天》,高村の《老猿》,石川の《白衣観音》が出品されたが,これらが明治期の木彫を代表する作品であった。…

※「山田鬼斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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