山紫水明処(読み)さんしすいめいしよ

日本歴史地名大系 「山紫水明処」の解説

山紫水明処
さんしすいめいしよ

[現在地名]上京区南町

丸太町(まるたまち)通の北、鴨(かも)川西畔にある。頼山陽(一七八〇―一八三二)が晩年に住居内に建てた書斎。

山陽は文化八年(一八一一)上洛、新町(しんまち)丸太町上ル春日(かすが)町に借宅し開塾したのが手始めで、以後車屋(くるまや)町御池(おいけ)上ル町(現中京区)、木屋(きや)町二条下ル柴屋長次郎宅(現中京区、この仮寓も山紫水明処とよんだ)など、転々と居宅を変えたが、文政五年(一八二二)に三本木南(さんぼんぎみなみ)町に居宅を構えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「山紫水明処」の解説

さんしすいめいしょ【山紫水明処】


⇒賴山陽書斎〈山紫水明処〉(らいさんようしょさい)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の山紫水明処の言及

【頼山陽】より

…18年(文政1)西遊。京都文人社会でしだいに地歩を占め,22年には三本木の水西荘に移居,ここに書斎〈山紫水明処〉を営んで,門弟教育のかたわら多くの文人墨客と交わり,各地を遊歴し,詩文・書画をつくり愛好する自由な境涯を楽しみとした。26年《日本外史》を完成,翌年松平定信に献上。…

※「山紫水明処」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」