20世紀日本人名事典 「山鹿元次郎」の解説
山鹿 元次郎
ヤマガ モトジロウ
- 生年
- 安政5年12月30日(1859年)
- 没年
- 昭和22(1947)年12月31日
- 出生地
- 江戸
- 旧姓(旧名)
- 古田
- 学歴〔年〕
- 東奥義塾卒
- 経歴
- 弘前藩士古田家の出身で、のち山鹿家を継ぐ。青森の東奥義塾に学び、キリスト教信者であった同校経営者本多庸一やJ・イングの影響で明治8年に受洗。卒業後に新聞記者となり「青森新聞」社主に就任するが、17年に筆禍事件を起こして教職に転身し牧師の資格を取得。19年来徳女学校(のち弘前女学校・弘前学院)創立に参画し、同校教授や各地の教会などを経て37年弘前教会牧師となった。大正2年母校東奥義塾が廃校になると、その再興に尽力。また同年の東北地方における大凶作に際して教会内に凶作救済委員会を設立、被害にあった農民の救護に乗りだし、上京して東京市長らに援助を求めるなど全国的な募金・救援活動を展開した。さらに3年にチフスが流行すると、健康園を開設し徹底した健康管理のもとで児童を収容、併せて幼児を預かる託児園(のちサムエル保育園)も設置した。のち東奥義塾や弘前女学校の理事・理事長などを歴任。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報