山鹿郡
やまがぐん
肥後国北部の菊池川中流域に位置し、東は菊池郡、西は玉名郡、南は山本郡、北は筑後国八女郡に接する。中世以前には現在の山鹿市、鹿本郡鹿北町・鹿央町・鹿本町・菊鹿町の一部が当郡に含まれていた。「和名抄」東急本国郡部は「夜万加」と訓を付し、箸入・来民・伊智・夜開・緒緑・津村・神西・温泉・小野・朽納の一〇郷をあげる。高山寺本は箸入を「箸人」、神西を「神世」とし、朽納は載せない。来民と朽納(網)は重出であろう。「筑後国風土記」逸文に三毛郡の郡家の南にある棟木の暮日の影が「山鹿郡荒爪之山」を蔽うとあるのが郡名の初見で、荒爪山は震岳(山鹿市内)をさすといわれる。また平城宮出土木簡の表面に「肥後国山鹿郡□□」、裏面に「応修理正倉□□」と記すものがあり、近年発掘の太宰府出土木簡に「山鹿郡紫草」とみえる。郡家は山鹿市桜町付近に比定されているが場所を確定することはできず、郡司も不明である。仁平三年(一一五三)四月二九日の東大寺諸庄園文書目録(守屋孝蔵氏所蔵文書)中の第五観世音寺分に「一巻八枚寛仁四年肥後国山鹿郡桑公験」がある。大治五年(一一三〇)七月には桑園が多く山鹿庄内に打籠められたとの国司の訴えがなされており(「無量光院請文」醍醐雑事記)、当郡にかなりの桑園があったことがわかる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報