日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田十松」の意味・わかりやすい解説
岡田十松
おかだじゅうまつ
(1765―1820)
江戸後期の剣術家、神道無念流・撃剣館主。武州埼玉郡砂山村(現埼玉県羽生(はにゅう)市内)の農岡田又十郎の二男として生まれる。通称十松、名は吉利(よしとし)。幼少より剣を好み、15歳のとき近郷志多見(しだみ)(現加須(かぞ)市内)の松村源六郎に学んで断然頭角を現し、ついで江戸・麹町(こうじまち)裏二番町の戸賀崎熊太郎暉芳(てるよし)の門に入り、1787年(天明7)22歳のとき皆伝印可を得、諸国を歴遊して剣名を高めた。95年(寛政7)師の道場を引き継いだが、門弟が急増したため、神田猿楽町(さるがくちょう)に移り撃剣館と称した。水戸藩の藤田東湖(とうこ)と親交を結び、門人では秋山要助(ようすけ)、宮本左一郎(さいちろう)、永井軍太郎、鈴木斧八郎重明(おのはちろうしげあき)、佐藤万四郎らが有名。1820年(文政3)没、56歳。吉利には3男1女があり、長男の利貞(としさだ)が2代を継いだが宿痾(しゅくあ)のため、まもなく三男利章(としあき)に譲り、3代十松を称した。2代の門人に森重百人之蔵、望月鵠助、江川邦二郎(太郎左衛門英龍(ひでたつ))、3代の門人に斎藤弥九郎(やくろう)らがある。
[渡邉一郎]
『藤田東湖著『撃剣館岡田先生墓碑銘』(『新定東湖全集』所収・1940・博文館)』▽『山本邦夫著『埼玉県剣客列伝』(1981・遊戯社)』