岡田明義(読み)おかだ・あきよし

朝日日本歴史人物事典 「岡田明義」の解説

岡田明義

没年:明治7.1.13(1874)
生年:文政7.7(1824)
幕末・明治初期の地方的経世済民家。名は邦太郎,藤九郎あるいは貢ともいい,通称藤九郎。羽後国(秋田県)由利郡岩野目沢村の肝煎松永藤助の長男。家督相続ののちに村内に義倉を設立し,新田開発を行い,貧民救済を実施した。東北,北海道を周遊してジャガイモと出合い,農書『無水岡田開闢法』(1861)を著し,原野開発に水利を必要としないジャガイモ栽培の効用を主張した。岡田姓はこの著作に由来する。明治3(1870)年に民部省が同書を各府県に2部ずつ配布している。その後京都に上り,庶務取調方として出仕,貧民浮浪者対策に当たる。東京小石川に澱粉製造会社を設立したが,民部省から突然営業停止を通告された。<参考文献>佐藤常雄「『無水岡田開闢法』解題」(『日本農書全集』18巻)

(佐藤常雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田明義」の解説

岡田明義 おかだ-あきよし

1824-1874 幕末-明治時代の殖産家。
文政7年7月生まれ。出羽(でわ)由利郡(秋田県)の人。安政6年蝦夷(えぞ)地(北海道)をまわり,ジャガイモの栽培法と加工法をまなび,郷里で実施。文久元年「無水岡田開闢(かいびゃく)法」をあらわし,ジャガイモ栽培の普及をはかった。明治7年1月13日死去。51歳。通称は藤九郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android