朝日日本歴史人物事典 「岡田明義」の解説
岡田明義
生年:文政7.7(1824)
幕末・明治初期の地方的経世済民家。名は邦太郎,藤九郎あるいは貢ともいい,通称藤九郎。羽後国(秋田県)由利郡岩野目沢村の肝煎松永藤助の長男。家督相続ののちに村内に義倉を設立し,新田開発を行い,貧民救済を実施した。東北,北海道を周遊してジャガイモと出合い,農書『無水岡田開闢法』(1861)を著し,原野開発に水利を必要としないジャガイモ栽培の効用を主張した。岡田姓はこの著作に由来する。明治3(1870)年に民部省が同書を各府県に2部ずつ配布している。その後京都に上り,庶務取調方として出仕,貧民浮浪者対策に当たる。東京小石川に澱粉製造会社を設立したが,民部省から突然営業停止を通告された。<参考文献>佐藤常雄「『無水岡田開闢法』解題」(『日本農書全集』18巻)
(佐藤常雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報