岡田武史(読み)おかだたけし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡田武史」の意味・わかりやすい解説

岡田武史
おかだたけし
(1956― )

サッカー選手、監督。8月25日、大阪府生まれ。天王寺(てんうじ)高校、早稲田(わせだ)大学を経て、1980年(昭和55)に古河電気工業(古河電工)に入社した。現役時代はディフェンダーDF)として活躍。高校3年時に日本ユース代表に選出されたほか、大学在籍時には総理大臣杯優勝、大学選手権優勝を経験し、ユニバーシアード代表にも選出された。日本リーグでは189試合に出場して9得点。1985年にはリーグ優勝も経験している。また、日本代表として国際Aマッチ24試合に出場、1得点を記録。1990年(平成2)に現役を引退し、古河電工コーチ就任して指導者の道を進んだ。

 ドイツでの指導者留学を経て、1994年から日本代表コーチとして代表チームの指導に携わり、ワールドカップフランス大会アジア最終予選途中の1997年10月には、成績不振で解任された加茂周(かもしゅう)(1939― )から引き継いで日本代表監督に就任。日本サッカー史上初のワールドカップ決勝大会出場を果たした。決勝大会での成績はアルゼンチンクロアチアジャマイカを相手に3戦3敗であった。同大会後、代表監督を辞任。1999年から3シーズンにわたってJリーグコンサドーレ札幌の監督を務め、2000年(平成12)にはチームをディビジョン1(J1)昇格に導いた。また、2003年から2006年まではJ1の横浜F・マリノスの監督として采配(さいはい)をふるい、2003年、2004年とJリーグ連覇を成し遂げた。2007年12月、病に倒れた前監督オシムの後任として、ふたたび日本代表監督に就任。アジア予選を勝ち抜き、2010年ワールドカップ南アフリカ決勝大会出場を果たした。決勝大会では2勝1敗の成績で決勝トーナメントに進み、トーナメント1回戦でパラグアイに敗れた。2010年8月、代表監督を退任。2012、2013年には中国スーパーリーグの杭州(こうしゅう)緑城の監督を務めた。


[中倉一志]

『潮智史著『指揮官岡田武史――アルマトイ、フランス、そして札幌』(2001・朝日新聞社)』『志岐幸子著『岡田武史さんと考えた「スポーツと感性」』(2008・日本経済新聞出版社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡田武史」の解説

岡田武史 おかだ-たけし

1956- 昭和後期-平成時代のプロサッカー選手,監督。
昭和31年8月25日生まれ。天王寺高3年のときユース代表にえらばれる。早大をへて,古河電工にはいり,頭脳的なDFとして活躍。国際Aマッチ24試合。平成4年ドイツにコーチ留学,翌年ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)のコーチに就任。6年サッカー日本代表コーチとなり,9年には成績不振で更迭された加茂周のあとの監督となり,日本初のFIFAワールドカップ(フランス大会)本選出場をはたす。10年コンサドーレ札幌の監督となり,12年には同チームをJ2優勝・J1昇格にみちびいた。15年横浜F・マリノス監督に就任して1stステージ・2ndステージを制し完全優勝,翌16年も同チームを年間優勝させる。19年日本サッカー協会特任理事。同年イビチャ・オシム監督の急病で9年ぶりに日本代表監督に就任し,22年W杯南アフリカ大会でグループリーグを勝ち抜きベスト16にみちびいた。23年中国スーパーリーグの杭州緑城の監督に就任。大阪府出身。

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367日誕生日大事典 「岡田武史」の解説

岡田 武史 (おかだ たけし)

生年月日:1956年8月25日
昭和時代;平成時代のサッカー監督

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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