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岡田武史 おかだ たけし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡田武史 おかだ-たけし

1956- 昭和後期-平成時代のプロサッカー選手,監督。
昭和31年8月25日生まれ。天王寺高3年のときユース代表にえらばれる。早大をへて,古河電工にはいり,頭脳的なDFとして活躍。国際Aマッチ24試合。平成4年ドイツコーチ留学,翌年ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)のコーチに就任。6年サッカー日本代表コーチとなり,9年には成績不振で更迭された加茂周のあとの監督となり,日本初のFIFAワールドカップ(フランス大会)本選出場をはたす。10年コンサドーレ札幌の監督となり,12年には同チームをJ2優勝・J1昇格にみちびいた。15年横浜F・マリノス監督に就任して1stステージ・2ndステージを制し完全優勝,翌16年も同チームを年間優勝させる。19年日本サッカー協会特任理事。同年イビチャ・オシム監督の急病で9年ぶりに日本代表監督に就任し,22年W杯南アフリカ大会でグループリーグを勝ち抜きベスト16にみちびいた。23年中国スーパーリーグの杭州緑城の監督に就任。大阪府出身。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡田武史
おかだたけし
(1956― )

サッカー選手、監督。8月25日、大阪府生まれ。天王寺(てんのうじ)高校、早稲田(わせだ)大学を経て、1980年(昭和55)に古河電気工業(古河電工)に入社した。現役時代はディフェンダー(DF)として活躍。高校3年時に日本ユース代表に選出されたほか、大学在籍時には総理大臣杯優勝、大学選手権優勝を経験し、ユニバーシアード代表にも選出された。日本リーグでは189試合に出場して9得点。1985年にはリーグ優勝も経験している。また、日本代表として国際Aマッチ24試合に出場、1得点を記録。1990年(平成2)に現役を引退し、古河電工コーチに就任して指導者の道を進んだ。
 ドイツでの指導者留学を経て、1994年から日本代表コーチとして代表チームの指導に携わり、ワールドカップ・フランス大会アジア最終予選途中の1997年10月には、成績不振で解任された加茂周(かもしゅう)(1939― )から引き継いで日本代表監督に就任。日本サッカー史上初のワールドカップ決勝大会出場を果たした。決勝大会での成績はアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカを相手に3戦3敗であった。同大会後、代表監督を辞任。1999年から3シーズンにわたってJリーグのコンサドーレ札幌の監督を務め、2000年にはチームをディビジョン1(J1)昇格に導いた。また、2003年から2006年まではJ1の横浜F・マリノスの監督として采配をふるい、2003年、2004年とJリーグ連覇を成し遂げた。2007年12月、病に倒れた前監督オシムIvica Osim(1941― )の後任として、ふたたび日本代表監督に就任。アジア予選を勝ち抜き、2010年ワールドカップ南アフリカ決勝大会出場を果たした。決勝大会では2勝1敗の成績で決勝トーナメントに進み、トーナメント1回戦でパラグアイに敗れた。2010年8月、代表監督を退任。
 [中倉一志]
『潮智史著『指揮官岡田武史――アルマトイ、フランス、そして札幌』(2001・朝日新聞社) ▽志岐幸子著『岡田武史さんと考えた「スポーツと感性」』(2008・日本経済新聞出版社)』

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