岩井智海(読み)イワイ チカイ

20世紀日本人名事典 「岩井智海」の解説

岩井 智海
イワイ チカイ

明治〜昭和期の僧侶 元・浄土宗管長;元・知恩院門跡。



生年
文久3年5月17日(1863年)

没年
昭和17(1942)年5月24日

出生地
福岡県粕屋町

別名
号=鈴泉,別名=岩井 一水

学歴〔年〕
知恩院大学林

経歴
明治6年成道寺住職岩井境誉について得度。知恩院大学林、大阪英和学舎、立教大学、上野音楽学校に学び、バイオリンを習得、作詩作曲も行った。岩井一水の名で「仏教唱歌集」を発表した。27年の日清戦争には従軍布教師として活躍。31年堺市大阿弥陀寺住職。大正15年総本山知恩院執事長、昭和7年大本山清浄華院法主、9年4月大本山増上寺法主となったが、知恩院孝誉現有の死去で、これを継ぎ同年10月知恩院門跡となり、浄土宗管長を兼ねた。12年管長を辞任、自坊大阿弥陀寺へ帰った。著書に「仏教音楽論」「五重講説」(全2巻)、「旭の心」「自力更生他力教」「道しるべ」「鈴泉遺芳」(遺稿集)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩井智海」の解説

岩井智海 いわい-ちかい

1863-1942 明治-昭和時代前期の僧。
文久3年5月27日生まれ。浄土宗。知恩院大学林,上野音楽学校などでまなぶ。堺(さかい)の大阿弥陀経寺住職をへて大正15年知恩院執事長。昭和9年増上寺法主,知恩院門跡(もんぜき),浄土宗管長。昭和17年5月24日死去。80歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身旧姓は安河内。字(あざな)は鈴泉。号は旭蓮社願誉無涯底阿,一水。著作に「五重講説」「仏教音楽論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android