ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩佐勝以」の意味・わかりやすい解説
岩佐勝以
いわさかつもち
[没]慶安3(1650).6.22. 江戸
江戸時代初期の画家。又兵衛とも称する。大名荒木村重の妾腹の子で,父失脚 (1579) 後京都西本願寺に逃れ,岩佐姓を名のったという。元和1 (1615) 年頃越前へ移る。その後寛永 14 (37) 年江戸へ下向。京都では二条昭実,越前では松平忠直,忠昌の知遇を得たと考えられるが,その作画活動には不明瞭な点が多い。基準作『三十六歌仙』画額 (川越東照宮) ,『官女観菊図』 (山種美術館) などのほかに『山中常盤絵巻』 (MOA美術館) ,『豊国祭礼図屏風』 (徳川美術館) などのすぐれた伝称作品が残る。顔貌や人体の表現には極端な誇張を伴う「又兵衛風」と称される個性的な様式がみられ,また歌仙,故事人物などの古典的題材を多く扱うが,その表現には奇趣に富む特異な傾向が現れている。明治までは江戸時代後期の「又兵衛浮世絵開祖説」を背景に,多くの無款の風俗画に「又兵衛筆」の伝称が冠されていたが,そのほとんどが否定されるにいたった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報