岩作城跡(読み)やざこじようあと

日本歴史地名大系 「岩作城跡」の解説

岩作城跡
やざこじようあと

[現在地名]長久手町岩作 中縄手

「寛文覚書」に「先年今井五郎太夫居城之由、今ハ畑ニ成」とある。東西の二ヵ所に分れ、東城東島ひがししま集落の西に続く城の内しろのうちにあって、「尾張志」に東西四四間・南北三二間、四方を二間幅の土居に囲まれた城跡が残っていたとある。現在、町役場の南の水田中に高さ約二メートルの土塁跡が数ヵ所みられる。城主は「徇行記」には今井四郎兵衛と記され、その子と思われる四郎三郎は長久手合戦で没したが、地元には、昔、城主と村民との間に年貢の問題で争いを生じ、城主は殺され、その領地は村民によって細分されたという伝承があり、今も城跡の地は面積の割に地主の数が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

乞巧奠〈公事十二ケ月絵巻〉〘 名詞 〙 陰暦七月七日の行事。乞巧は技工、芸能の上達を願う祭。もと中国の行事であるが、日本でも奈良時代以来、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機津女(たなば...

乞巧奠の用語解説を読む