日本歴史地名大系 「岩作村」の解説 岩作村やざこむら 愛知県:愛知郡長久手町岩作村[現在地名]長久手町岩作長久手村の東北にあり、東南部の丘陵から香流(かなれ)川が長久手村との境を西に流れ、その流域に集落と水田が開かれた。文和三年(一三五四)の親鸞聖人絵伝裏書(如意寺蔵)に「尾州弥作久」とあるのが、あるいは岩作とも考えられる。「尾張国地名考」はヤはイワの転訛、サコは坂・裂または谷間の義としている。丘陵地には円墳や須恵器の窯跡が認められる。寛文一一年(一六七一)の家数七一、人数五一六(寛文覚書)。「徇行記」によれば、村は名古屋城下の東方三里一五町、広さは東西四五町・南北一五町に達する。 岩作村がんざくむら 福島県:郡山市旧田村町地区岩作村[現在地名]郡山市田村町岩作(たむらまちがんざく)守山(もりやま)村の東、谷田(やた)川中流域の阿武隈高地西縁丘陵に立地。もと守山のうちに含まれていたが、江戸時代初めに分立したとみられる。領主の変遷は下行合(しもゆきあい)村と同じ。延宝八年(一六八〇)の村高調(福島県史)に村名がみえ、高一千四一〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報