日本歴史地名大系 「岩剣城跡」の解説
岩剣城跡
いわつるぎじようあと
答院重武が
答院良重らが連携し、各地に城郭を構えて貴久に対抗した(島津国史)。この時の当城の城番は蒲生氏方の西俣盛家(新納忠元勲功記)、あるいは入来院氏(樺山玄佐自記・島津国史)、または渋谷氏だったという(三国名勝図会)。
天文二三年九月一二日、島津貴久は父忠良、弟忠将、子の義久・義弘・歳久らに鹿児島・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報