日本歴史地名大系 「岩吉久吉音吉頌徳記念碑」の解説 岩吉久吉音吉頌徳記念碑いわきちひさきちおときちしようとくきねんひ 愛知県:知多郡美浜町小野浦村岩吉久吉音吉頌徳記念碑[現在地名]美浜町小野浦小野浦(おのうら)海岸の県道東側、若宮(わかみや)八幡前にある。日本聖書協会が昭和三一年(一九五六)建設。天保三年(一八三二)千石船宝順丸は大坂から米を積み江戸に向かった。船主は小野浦の樋口源之助、船頭はその子重右衛門で、以下乗組員一四名、出身地は船頭以下九名は小野浦で、ほかに野間(のま)・宮(みや)・伊勢若松(いせわかまつ)・同波切(なきり)・新居浜(あらいはま)各一名であった。一〇月一一日同船は遠州灘で難破し、漂流一四ヵ月、岩吉・久吉・音吉三名を残してすべて死没、船はカナダに漂着、三名はインディアンに捕らわれたが、後カナダの捕鯨船に救出され、イギリス軍艦に移され、一八三四年日本人として初めてロンドンの土を踏んだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by